アレグロよりもアンダンテ





時に隊服で、時に着流しで、その人はふらりと訪れる。
うちは小さな甘味処だ。十人も入るといっぱいになってしまうような店。お品書きも、そう多くはない。天人がやって来て以来、お客様は少し減ってしまったけれど、昔ながらのお馴染みの方のご贔屓で、なんとかお店は潰れずに済んでいる。
件のお侍様は、二、三日に一度くらいの割合で、お店に来てくださる。大事なお得意様だ。
たまに、街中でお仕事をしている姿を見かけることがある。難しい顔をして、忙しそうにしていらっしゃるのに、こうしてうちのお店にマメに顔を出してくださる。
甘いものは疲れを取り除く、というけれど、少しでもうちで癒されていると思っていただけているのなら嬉しい。
そのお侍様の名前は、土方さん、というらしい。なんでもあの真選組の副長さんなのだとか。幕臣の、それも、すごく偉い人だったのだ。
土方様、と呼びかけたら、様なんてつけられるほど偉くねェ、と嫌がられてしまった。それ以来、厚かましくも土方さん、と呼ばせていただいている。帯刀を許されている幕臣なんて、私のような町娘からしたら、雲の上の人のように思うのだけれど、土方さんはこんな小さな甘味処で、お団子を食べて、お茶を飲んで、最後には旨かったと言って下さる、非常に気さくな方だった。


「土方さんは、甘いものがお好きなんですか?」
頻繁にいらしてくださるので、どんな甘味が好きなんだろうか、と思って一度聞いてみたことがある 。
「あ、あぁ、まァな」
屯所からも近ェし、見廻りの行き帰りにも寄り易いしよ。それに近くのコンビニに、煙草をよく買いに行くんだよ。その帰り道に、ちょうどこの甘味屋があって、なら食って帰るかって気になるんだよ。土方さんなそんなことを早口で言った。
「まァなんだ、ここの団子が美味くて、つい寄り道したくなんだよ」
そう言って優しく笑う姿に思わず見惚れてしまって、それからというものの、私は土方さんが来て下さる日を心待ちにするようになってしまった。
恋心、と呼ぶには未熟すぎる。そんなことは分かっているし、この想いをこれ以上育ててしまうのは危険だということも分かっている。土方さんは立派なお侍様で、それに引きかえ、私はただの甘味屋の娘なのだから。
そんな折に、たまたま聞いたのが、5月5日は土方さんのお誕生日だということだった
5月5日、こどもの日。プレゼントをお渡ししたい、なんて望みは持てなかった。だって、土方さんはお客様で、私は店員で、その日に都合よく土方さんがいらしてくれるかどうかもわからないし。
でももし、5日に会えたら。
私はそんな夢を捨てることもできなかった。


そして当日、土方さんはいつもの着流し姿で、ふらりと現れた。嬉しくて嬉しくて、内心飛び跳ねて喜んでいる私に、土方さんはみたらし団子を注文した。
少々お待ちくださいませ、と決まり文句を言い置いて、お茶と一緒に団子を乗せた皿を出すと、土方さんは少し、驚いたような顔をした。
「今日が土方さんの誕生日だってお聞きしました。お誕生日、おめでとうございます。バースデーケーキには遠く及びませんが、サービスさせてくださいね。」
お皿の上には、みたらし団子と、柏餅。
「いいのか」
「もちろんです。いつもご贔屓にしていただいていますから。どうぞ、召し上がってください」
誕生日を喜ぶ歳でもねェんだけどな、と言いながらも土方さんはありがとな、と笑って受け取ってくれた。
あぁ、よかった。ちゃんとお祝いもできたし、柏餅も受け取ってもらえたし。今日土方さんが来なかったら、この柏餅は自分で食べようと思っていたのだ。無事、本人に渡せて安心した。


「柏餅、美味かったぜ」
お愛想に呼ばれて、開口一番、土方さんはそう声をかけてくれた。毎回、お代をいただくその度に土方さんは、ごちそうさま、と言ってくれる。私はそれがとても嬉しくて、ついつい土方さんにえこひいきしてしまいたくなる。とはいっても、あんみつのクリームを少し多めに盛るとか、それくらいしかできないのだれど。


「いつもありがとうございます。またいらして下さいね」
何度も交わしてきた言葉。お客様と店員という変わらない関係。今回もそれで終わるはずだった。そのつもりだった。
「この店って柏餅なんてあったのか?」
お釣りをしまいながら、土方さんが首を傾げる。
「いえ、柏餅は本日、土方さんのみの限定メニューです」
ばれてしまった。ささやかなおまけ、程度で済ませるつもりだったのに。 でも土方さんを特別と思っていることを気がついて欲しかった私も確かに自覚していた。
「そうか。柏餅、すげー美味かったんだけどな、メニューにないってことは、注文してもでてこねーのか」
「なんなら、また来年、お誕生日におつくりしますよ」
これから先も、お店に通ってくれれば、と言外に匂わせたつもりだった。
少し厚かましかったかな、と口に出してから後悔したけれど、土方さんの言葉は私の予想を遥かに超えたものだった。
「お店で出してねェってんなら、個人的にお願いして、個人的に作ってもらうってェのはありか?」
「――え?」
それってどういうことですか、と聞き返す前に、土方さんはまた来るといって踵を返し、逃げるように帰っていってしまった。後姿からでも、耳が赤いのがよく見える。
もっと、期待してもいいかな。お客様と店員だけじゃなくて、もっと踏み込んだ関係を夢見てもいいのだろうか。
また来る、と言い置いて帰ってしまったけれど、またっていつだろう。明日か、明後日か、もっと先の話か。
こんなにも誰かを待ち遠しく思うことなんて今までなかった。
早く来てくださいね、と小さく呟いた言葉は、恐らくは届いてはいないだろうけど、今はそれでも私は構わなかった。