僕が最後に行きつくところ 「なァ、機嫌直してくれよ」 背を向けたままのに声をかける。しかし、その後姿は微動だにしない。岩のような背を前に、俺はなす術もなく、ひたすらに情けない声を出す。 分かっている。俺が悪い。100%俺の過失だ。言い訳もできない。 だから、せめてお前の気が済むまでいくらでも頭を下げるから、頼むからこっちを向いちゃくれねェか。 「すみませんでした。次から気をつけます。だから、なんか喋ってくれ」 ここまで俺が平謝りすることなんて、まずない。立場やら、意地を張ってしまうこの性格のお陰で、素直に詫びの言葉を口にすることは滅多にない。 それをこの女はわかっているのか。この俺を、ここまで打ちのめすことができるのはお前くらいなんだぞ。 「あー、あれだ。明日、お前の行きたいことろへ連れてってやるからよ。美味いモン食いに行こうぜ、車出すからよ」 は沈黙を守り続けている。うんともすんとも言わないもんだから、さすがの俺も途方に暮れる。 せめて、文句の一つでも漏らしてくれれば、我儘でも言って喚けば、泣いて怒ってくれれば。いや、泣かれるのはやっぱキツイな。ともかく、リアクションがない限り、俺も打つ手はない。 畜生、こいつは総悟が持ち込んでくる厄介事より数段面倒だ。 「明日は休みを取ってきたからよ、家でのんびりしてェってんならそうするし、買い物行きでェってんならどこでもついてってやるから。な、俺も悪ィと思ってんだ。反省してます。この通り」 頭を下げる、この姿勢は首を差し出すのと同じ格好だ。俺を生かすも殺すもお前次第だ。別にが俺を殺すたァ思っちゃいねェが、これが俺なりの誠意という奴だ。 侍がこんなに無防備に頭を下げるなんて、よっぽどのことだぞ、オイ。わかってんのか、お前は。 しかし、だ。普段は温厚で滅多なことでは怒らないがこんなにへそを曲げるなんて、今までになかったことだ。 その原因はというと、やはり俺で、更に言うと、食卓の上の、いつもより手の込んだ飯にある。 それが手間隙かけて作られた飯だということは、一目見ただけでわかった。なのにそれらは、作られたままの姿で、つまり一口も食べられた形跡もなく、一皿一皿丁寧にラップに包まれていた。 作りたてはさぞかし暖かかったであろうそれらは、既に冷え切っている。二人分にしては少し多いんじゃねェのか、とも思うが、きっとそれだけ気合が入っていたんだろう。 誕生日をお祝いしたいんです、とが言ってくれた時は、純粋に嬉しかった。頑張って晩御飯作りますから、食べにきてくれますか、と尋ねる彼女に必ず行くと答えたのはわずか一週間前のことだった。 その日から、俺は猛然と働いた。誓ってもいい、のために、ひたすらに仕事をこなした。それでも急を要する案件というものは必ず舞い込んでくる。俺に何の恨みがあるんだってくらいに、とにかく舞い込んでくる。 そんなこんなが積み重なって、気がつけば5月5日はいつの間にか終わっており、連絡すら入れてなかった俺は、のご機嫌取りに精を出す羽目になったのだ。言い訳終わり。 今日は、俺ァコイツに祝ってもらう予定だったんだけどなァ。ぼやいてみたところで状況は変わらない。の機嫌は直らない。 あァ、ちくしょう。なんだった俺ァこんなに肩身の狭い思いをしなくちゃなんねェんだ。八方塞がりの状況に、だんだん腹が立ってくる。頭の片隅では、これが逆ギレだというのもわかってる。 しかし、もともと気の長いほうはない。穏やかな気性というわけでもない。 壁と向かい合って動かないの肩を引き、強引に自分の方へと振り向かせた。 「おい、いい加減にしろ。黙ってちゃ、なんにもわかんねーだろ」 その瞬間目に入ったのは、瞳いっぱいに涙をたたえただった。サァと血の気が引いたのがわかった。 ヤベェ、泣かせる。 てっきり怒っているのだと思っていた。だが違った。唇をきつく引き結んで、今にも泣きそうな顔をして。その原因は間違いなく俺で、後悔が嵐のように激しく渦巻いた。 フリーズしている俺をよそに、とうとう涙が零れ落ちて、俺は更に動揺した。慌ててを抱き寄せて、その小さな頭を己の肩口へと押し付けた。 それは、慰めるため、というより、こいつの泣いている顔を見たくないという自分のエゴのためだ。情けねェ。 「私、土方さんのために、頑張ってお食事作ったんです」 涙で濡れた声で、時折しゃくりあげながら、が話し始めた。 「お仕事で忙しいのは知ってたんです。でも、行くって言ってくれたから、嬉しくて」 は俺の着物に顔を埋めて、嗚咽を漏らしながらも懸命に言葉を紡ぐ。 「でも、約束の時間になっても全然来る気配はないし、メールも電話も一切ないから、仕事が終わらなかったのかな、とか、途中で何か事故にでもあったんじゃないかと思うと気が気じゃなくて」 袖を握り締めるの手は、白く小さい。その細い指で頼りなさそうに縋る姿は、庇護欲をそそる。 「すごく、心配してたはずなのに、無事なのがわかったとたん、なんだか腹が立ってきちゃって、なんでこんなに遅かったのとか、どうして連絡してくれなかったのとか、ワガママばかり言っちゃいそうで。でもそんな文句ばかり言ってたらいつか愛想尽かされちゃうんじゃないかって、自分でもよくわかんなくなって、それで」 我慢ばかりさせているのだと思った。なんでそれで俺に愛想を尽かさないんだと、こちらが不思議なくらいだ。 「土方さんを、独占したくなるんです。そんなことできるはずないのに、駄々こねて困らせちゃったり、すぐ泣いて面倒だなんて思われたらって不安で仕方がなくて」 「わかったから、落ち着け」 あやすように背中を撫でれば、ふええ、と声を上げて本格的に泣き始めてしまった。 つい数分前までは、に泣かれるのだけは勘弁だと思っていた。ところがどうだ。 今はが愛おしくて堪らない。後から後から零れる涙も、止まらない嗚咽も、全て俺だけのモノだ。 親指の腹で優しく頬を拭えば、濡れた瞳がこちらを見上げてくる。これからもずっと、俺のために怒ったり泣いたりすればいい。笑顔はもちろん、コイツの怒りも悲しみも、欠片でさえ他の奴には渡さない。 こそ、俺がこんなに独占欲の塊だとは思ってもないだろう。流した涙は、飲み干してしまいたい。漏れ出る嗚咽は全てその唇ごと喰い尽してしまいたい。 「悪かった。飯は明日食おう。その後は、一日一緒にいてやるから。今日は休もう、な?」 小さく頷くを抱きしめる。小さな身体も、指どおりのよい艶やかな髪も、全てが愛おしい。 こいつが思っている以上に、俺はコイツに惚れている、なんて、俺だけが知っていればいいんだ。 |