手を取り合って生きる。ただそれだけのことが、なんて難しいのだろう。




十年後の二人を思い描くための今日




さほど遠くないあばら家からは、途切れることなく喧騒が響いてくる。いつまで経っても子どもっぽいなぁ、と思わず笑ってしまう。
天を仰げば、振ってきそうなほどの多くの星が瞬いていた。あの小さな光の一つ一つに、自分たち以外の命が在るなんて、どうして想像出来ただろう。こんなにも広い空の海の中で、私たちはちっぽけな国ひとつのために刀を振るっている。
今日は天人の船も少ない。爪の先のような細い月も、太陽を追いかけてすぐに沈んでしまった。空に浮かぶ数多の星の中に、今にも落ちていきそうな錯覚を覚えた。


「おーい、大丈夫か、酔ってっか」
かけられた声も、消そうともしていない足音も、およそ緊張感というものを欠いていた。酔ってない。むしろ飲んでない。こんな日に奇襲でもされらた間違いなく全滅だ、と溜め息をついた。
「今日って銀ちゃんの誕生日祝いなんでしょ。いいの、抜け出してきて」
「いーの、いーの。アイツら酒飲む口実が欲しいだけだから。つーか、はいいのかよ。あのぶんじゃ、アイツら今日中に全部飲み尽しちまうんじゃねーの」
「え、あの量を一晩で飲むつもり? じゃ、明日は誰も使い物になりそうにないね」
「……こんだけ騒がしといて、明日もこき使う気かよ」
真面目すぎるんじゃねーの、と銀ちゃんは地面に寝転がる。
「私が真面目なんじゃなくて、銀ちゃんが不真面目すぎるんだよ。比較対象が悪すぎる」
銀ちゃんの隣に腰を下ろせば、ひんやりとした土が、私の熱を奪っていった。
もう秋なのだ。暑いと川に飛び込んだ辰馬が晋助に水をかけて怒らせていたのは、つい先日のことだったように思う。
夏に比べて仲間は少し増えて、そして大勢いなくなった。こうやって、またあっという間に冬が来て、春を迎える頃には、私たちのうちの誰が、どれだけ残っているだろう。
掌の熱は、指先からどんどん地面に吸い取られていくようだった。


敬愛していた師が死んだ。それは、私と銀ちゃんに刀を取らせるには充分な理由だった。
最初のうちは、ただただ怒りに任せて天人を斬っていた。その頃はまだ、攘夷と叫ぶ、勢いだけの集団だったと思う。
それが仲間が増え、いかにして天人たちを効率よく殺していくかという戦略が立てられる程に戦争の形を成してきた時、私は、初めて我に返った。刀は脂を巻き込んで、ほとんど斬れなくなっていたし、伸ばしていた髪は日に焼けて、ひどく傷んでいた。
爪の中にこびりついた血を呆然と眺めていたら、銀ちゃんが一言だけ、今のうちだぜ、と呟いたのが聞こえた。刀を捨てるなら、戦場から逃げ出すなら、今のうちだ、と、そう言ったのだ。
銀ちゃんは抜けているように見えて、実は人一倍聡い。私が一瞬、揺らいだ隙を見逃すことはなかったのだ。
これから先、戦争は泥沼の様相を呈していくだろう。それは、誰にでも容易に想像することができた。そうなる前に帰れ、とそういうことを私に伝えたかったのだろう。
銀ちゃんは優しい。
優しいからこそ、先生を死に追い遣った天人や幕府を許すことができないのだ。私に、逃げ道を用意したりするのだ。でも、私もそんな優しさに甘えたくはなかった。銀ちゃんが戦っているのに、私だけのうのうと平和な場所で生きていたくはなかった。
「私は、帰らない。逃げたりしないよ」
銀ちゃんの目だけを見て、言い切った。この戦争が、どんな結果に終わったとしても。
「銀ちゃんと一緒じゃなきゃ、帰らないから」
死んだ先生のためだけではなく、今生きている銀ちゃんのために、私が迎える明日のために、刀を握り直した。


視界の隅で、星が流れたような気がした。静かな風が、下生えの草を揺らした。
「あ、そういや」
「あ?」
「誕生日おめでとう」
「そいつァ、ご丁寧にどーも」
こんな戦争の最中に、おめでとうもないだろうと思う。そもそも、この誕生日を祝うという風習も、今私たちが戦っている、天人が持ち込んだものらしい。つくづく、私たちはいい加減にできている。
「でさ、銀ちゃんっていくつになったの」
「んなこまけーこと、いちいち覚えてねーよ。二十くらいじゃね?」
「適当だなぁ」
「じゃあお前はいくつなんだよ」
「私は永遠の18歳です」
「適当どころかインチキの塊じゃねーか」
「うっさい、殴るよ」
「ごめんなさい」
腰に刀さえ下げてさえいなければ、街中で聞けるような会話だ。それなのに、私たちときたら、今日も昼間はここからそう遠くない場所で、小競り合いを起こしてきたばかりだ。
人らしい感覚は、急激に失われている。戦争というものは、もっと殺伐としているものだと思っていた。しかし、戦争が相手の命を奪うために起きるものであるなら、奪う側もやはり血の通った命なのだ。人を斬ったその手で、酒を飲み、冗談を交わす。どこにも矛盾などなかった。


秋の虫がにぎやかに鳴いている。どれだけ遠くに来ても、虫の音は故郷のそれと同じように聞こえた。すぐ側で、鳴いているように聞こえるのに、草を掻き分けて丹念に探してみても、その姿は一向に見つからない。
私は虫を探すのを早々に諦めて、銀ちゃんの隣に並んで寝転がった。思った以上に、地面は暖かく、柔らかかった。横になって天を仰げば、星が降ってくるというより、私が星の海の中に落ちてゆくようだった。
「ねー、銀ちゃん」
「あー?」
「今日戦った天人たちは、どの星から来たんだろうね」
「……
「故郷に家族とか、いたりするのかな。わざわざこんな遠くまで来て、戦争することになるなんて、思ってもなかったかもね」
「お前、いつもそんなこと考えてんのか」
「いや、今たまたま思いついただけ」
別に、今さら同情で刀を振るえなくなるなんてことはない。ただ、私も彼らも遠くに来てしまったな、と少し故郷を懐かしく思い出しただけだ。
「まー、なんつーか、あれだな。俺らもあいつらもお互いツイてなかったな」
「その一言に尽きるね」
多くの選択肢があったはずなのに、私たちは戦争を選んだ。決して不可抗力だったわけではない。銀ちゃんの言うとおり、ツイていなかったのもある。
それでも、命を賭して守るものがあった。国、とか誇り、とか矜持、とか桂が言うような難しいことは、私には分からなかったけれど、家でみんなの帰りと待つことはできなかった。


投げ出した手が、銀ちゃんの指先に触れた、と思ったら握り締められてしまった。私の掌よりはるかに大きくて、そして暖かかった。竹刀ダコの痕が、固くなっている。
「ねー、銀ちゃん」
「けえきって知ってる?」
「いや」
「天人が持ち込んだ甘味で、餡よりも甘くて柔らかいらしいよ」
「……それで?」
「江戸とか大坂では結構出回ってるらしいよ。人気があるみたいで」
「甘味かァ、しばらく食ってねーなァ。みたらし団子が食いてーなー」
「ね、銀ちゃん、戦争が終わったら、一緒に食べに行こう」
私は起き上がって、寝転がる銀ちゃんを上から見下ろした。思ったとおり、少し驚いた顔をしている。その表情が珍しくて、少しおかしくて、私はさらに言葉を続けた。
「けえきって、誕生日のお祝いに食べるものなんだって。年に一度しか食べられないなんて、ご馳走だよね。だから、そのご馳走をぜひ食べてみたくって」
戦争が終わったら。この一言はどういうわけか、仲間内では禁句になっていた。そんな夢でも見ている暇があれば、敵の一人でも斬れということなのか。それとも叶わない未来なんぞに思いを馳せて逃避するなと言いたいのか。
しかし、遅かれ早かれ戦争は終わるだろう。恐らく、天人たちの勝利という形で。それまで、私や銀ちゃんが生きている保証はない。
私たちが戦うのは、未来のため、希望のためではなかったか。浮ついていると怒られるだろうか。所詮は戯言だと嗤われるだろうか。だからといって、夢を見ないでいられるだろうか。戦争が終わったあとの、未来を生きるなら私は銀ちゃんと一緒がいい。


「俺とで2回だろ」
ポツリと銀ちゃんがこぼす。
「どういう意味?」
私は首を傾げる。
「だーかーらー、俺の誕生日との誕生日で年2回食えんだろ。お前ってばホンット、昔から算学ができねーのな」
「なによ、算学とか関係ないじゃん。てか、頭の中まで甘味でできてるみたいな銀ちゃんにそんなこと言われたくないよ」
お互いに憎まれ口しかたたけない。でもそれは、照れている証拠だ。だって、この銀ちゃんの言い方は、まるで。
「あーもー、つまりな」
銀ちゃんが頭を掻き毟る。ふわふわの髪が踊るように跳ねる。これは銀ちゃんが困ったときの癖だ。こうやって、相手の癖を知り合うくらい、私たちは同じ時を過ごしてきた。だから、銀ちゃんが何を言おうとしているかくらい、私には分かってしまう。
の好きなときに、好きなモンを、好きなだけ食わしてやるって言ってんだよ」
「本当に? 銀ちゃんにそんな甲斐性があるとは思えないんだけど」
お前なァ、と銀ちゃんは深く息を吐く。
「こういうときくらい格好良く決めさせてくれたっていーんじゃねーの?」
ごめんね、銀ちゃん。でも私も銀ちゃんに負けないくらい照れ臭くて、その言葉を真に受け取る余裕がないんだ。
そろそろ戻るぞ、と銀ちゃんが手を差し出す。私はその手をしっかりと掴む。
まだ騒がしいあばら家を眺めながら、私は考える。暖かい布団で寝たい。お腹いっぱいになるまでご飯が食べたい。家族にただいまって言いたい。戦争が終わったら、なんてみんなが考えないわけがないんだ。


国のために、大切な人たちのために。刀を取る道を選んだ。返り血を浴びても、敵の命を奪おうとも、その先の未来に銀ちゃんと一緒にけえきを食べる日々が続いていると信じるしかない。
こんな世の中に生を受けた。それでもここまでやってきた。銀ちゃんの掌は温かい。繋いだ手に力をこめたら、優しい瞳が降ってくる。
「ありがとう、銀ちゃん、大好きだよ」
飲んで騒いで、笑って眠ろう。そうして明日を迎えよう。