あなたの目にはどう映る?





日がな一日君を唄う





鮮やかな色彩が波のように押し寄せる。引いては押し、流れては停滞する。あれだけの人ごみの中なら寒くないだろうなァと、誰かが恨めしげに呟いている。
色とりどりの晴れ着は、長い参道に所狭しと咲く華のようだ。決して楽とは言えない着物でこんな人出の多い場所を歩くのはさぞかし辛いだろうと土方は思った。
年が明けて、既に数日が経ったというのに参拝客が減る気配はない。減らなければ警備を続けるしかない。かじかんだ手をすりあわせて、土方は白い溜め息をついた。


正月に某神社で爆破テロがあるとの情報を山崎が持ち帰ってきたのは、暮れも差し迫った頃だった。信憑性の高い情報ではないのはわかっていたが、さりとて放置しておくわけにも行かず、土方たちは神社警備の仕事を受け持つことになってしまったのだ。こうして年が明ける少し前から、ずっと目を光らせているのだが、今のところ怪しい人物や不審な動きは見られない。
やっぱり、ガセだったか。そう口にしてはいないが、隊士たちの間にはその雰囲気が蔓延していて、日を追うごとに緊張感は薄れていった。
その上、今日はまた一段と寒い。太陽はのぞいてはいるものの、その熱は冷たい風に吹き払われ、ほとんど暖かさを感じることはできない。どうせ、あと数日の辛抱だ、と自分に言いきかせて土方は己を奮い立たせた。


「副長、そろそろ交替の時間です」
土方はやってきた交替要員に異常なし、と告げて休憩所に向かった。数時間ぶりに動かした手足の関節は、まるで油を差していない機械のように軋む。かじかんで麻痺した指先に血が巡り、ようやく寒いという感覚が戻ってくる。
冷たい風が土方の髪を乱し、隊服の裾をはためかせる。土方は冬から逃げるかのように、暖房の効いている休憩所に転がり込んだ。
「あ、トシ、お疲れさま」
そこで湯気の立つマグカップを抱えていたのは土方の恋人のだった。予想外の人物に、とっさに言葉が出てこない。の隣には沖田が座っていて、やはりなにか温かそうな飲み物を抱えている。
「……なにしてんだ?」
「見てわからねーんですかィ? さんとお茶してるだけでさァ」
そう言って沖田は、カップの中身を旨そうに啜った。
「よし、わかった。質問を変えてやる。なんでがここにいて、オメーは仕事もしてねーでくつろいでんだ?」
「今の時間は休憩なんでさァ、自主的に」
「ただのサボりじゃねーか」
土方が振り下ろした拳を、沖田は軽々と避ける。
「で、は?」
沖田を追うのを諦めた土方は、近くの椅子に腰掛けながら尋ねた。は土方のために入れたお茶を差し出しながら答えた。
「私はトシに会いに来たんだよ」
そう言って、は居住まいを正し、深々とお辞儀をした。
「あけまして、おめでとうございます」
は今年もよろしくね、と花のように笑った。よく見ると、は晴れ着を着ていた。髪も綺麗に結い上げられており、薄く紅も差しているらしい。普段とは違う装いの恋人が妙に眩しく感じられて、土方は新年の挨拶もそこそこに目を逸らした。
さんたら最初、土方さんが休憩時間になるまで外で待ってるつもりだったんですぜ。でも、さすがにそれじゃあ風邪ひいちまうってんで、俺がここに連れてきたんでさァ」
ホント空気読めよな、土方コノヤローと、沖田の呟きが耳に入り、土方の眉間の皺はますます深くなった。


何の前触れもなく休憩所のドアが開き、冷気と共に土方と同じ黒い隊服に身を包んだ面々が、寒い寒いとわめきながら入ってきた。両手に息を吐きながら入ってきた近藤は、部屋の中にの姿を見つけると、相好を崩した。
「やあ、さん。あけましておめでとう。今日はトシに会いにきたのか?」
は椅子から立ち上がり、やはり折り目正しくお辞儀をした。
「あけましておめでとうございます。近藤さんと山崎さん、今年もよろしくお願いします」
近藤さんの後ろに控えていた山崎が、同じように挨拶を返す。
さんにお願いされたとあっちゃァ、今年も気張って江戸の平和を守らんとなァ」
そう言うと近藤は豪快に笑った。


「にしてもさん、今日は初詣ですか? 晴れ着、素敵ですね」
山崎が、心底似合ってるといった様子で褒めそやした。
「山崎の言うとおりでさァ。さんを見た後じゃァ他の女なんてみんなイモかごぼうに見えまさァ」
それはさすがに言い過ぎですよ、とは頬を染めて反論した。
「いやいや、今日のさんはいつにもまして可愛い! まァお妙さんもそれはそれは可愛いんだけどな、さんも可愛い! なァ、トシもそう思うだろ?」
それまで我関せずとばかりに煙草を吸っていた土方は突然呼びかけられ、思わずむせ返った。部屋にいた全員に期待に満ちた目で見つめられ、居心地が悪いことこの上ない。
「……まァ、似合ってんじゃねーの?」
意を決して放った言葉は、失望の溜め息によって迎えられた。
「副長、そりゃないですよ」
「これだから土方さんはヘタレなんでさァ」
「トシも正月くらい正直になったらどうだ」
口々にダメだしされ、思わず怒鳴りつけそうになった土方をが押し留める。
「でもまぁ、60点ってとこですね。ギリギリ合格点です」
は笑いながら土方を宥める。
「なんで60点て。なんでもいーだろ」
「でも、女性を褒める言葉としては、不充分ですね」
がそう言うと、土方は知るか、とそっぽを向いた。


「ではそろそろお暇しますね」
お仕事中、邪魔してすみませんでした、とは頭を下げた。が立ち上がると、土方もそこまで送っていくと席を立った。休憩所で暖まったぶん、余計に外の寒さが見に沁みる。寒い、と身を寄せてきたに、土方は声をかけた。
「で、はこれから初詣なのか?」
「ううん、初詣には行かないで今日はこのまま帰るつもり」
じゃあ、一体なにしに来たんだ。晴れ着まで着て。土方はわけがわからないというように顔を顰める。
「トシは、次いつ休みが取れる?」
「まァ、数日のうちに取るつもりだけどよ」
「じゃあその日に一緒に行こう。今日お参りしないで帰って、初詣はトシと行くためにとっておくから」
が満面の笑みでそれでいいでしょう、と聞いてくる。なんだ、そんなことを言うためだけに、わざわざ寒空の中来たっていうのか、と土方は口では言うものの悪い気はしない。
「だって晴れ着を見せたかったんだもの。それなのにトシは照れちゃってあんまり褒めてくれないし」
そう言って、は拗ねたように唇を尖らせた。


じゃあ、もう帰るね。お仕事頑張って、でも風邪ひかないようにね、と踵を返そうとするの肩を土方は掴んで強く引き寄せた。驚いて見上げるの耳元で、土方は囁きかける。
「俺ァ元旦の夜からここを警備して、何人もの晴れ着姿の女を見てきたけどな」
まだ目を丸くさせているに、土方は笑いかけた。
「他のどの女より、が一番綺麗だぜ」
「……どうしたの、急に?」
弱々しく土方の胸を押し返すは耳まで真っ赤になっている。
「別に? こう言ってもらいたかったんじゃねーのかよ」
土方は意地悪く笑いながら、の顔を覗き込む。
「これなら満点だろ?」
「そうね、私も頑張って晴れ着を着てきた甲斐がありました」
まだ頬に赤みを残したまま、は笑った。それじゃあ、と帰るを見送って、土方は仕事に戻った。休みが取れるのは明日か、明後日か、それともまだ先か。未来に思いを馳せ、胸を躍らせる。日常の些細の幸せに喜びを感じ取る。
単純だ、とは土方自身も気付いている。それでもの住むこの世界は、彼女の晴れ着のように華やかで美しい。
の肩に触れた掌はまだ温かい。この熱の冷めぬうちに、また会いに行こう。土方は自然に釣り上がってしまう口元を隠し、春の陽気のようなぬくもりと愛しさを噛みしめた。