月と私、どっちが綺麗?





言うまでもなく君が一番





台所で空になった一升瓶を丁寧にゆすぐ。水の跳ねる音にまじって、大広間の喧騒がここまで聞こえてくる。
今日は月見という名目での宴会だった。近藤さんは無礼講だと言っていたが、真撰組の宴会はいつだって最終的には無礼講になってしまうのが常だった。
おつまみを皿に山盛りにして行くと、大広間は酷い有り様になっていた。食べカスや空き缶があちこちに散乱し、酔い潰れた隊士達が数人、死んだように横たわっている。これでは大きな子どもみたいだと、私は苦笑しながらため息を吐いて、ゴミを拾いながら寝ている隊士を起こしてまわった。 瓶や缶を回収してはおつまみを補充し、酔っ払いを叩き起こしては自室に引き揚げさせた。宴会といえど、女中に休みはないのだ。
大広間と台所を往復しながら、さりげなく辺りを見回してみるものの、土方さんはどこにも見当たらず、少し残念に思った。


突然、部屋の奥からイッキコールが響いた。空き缶を回収しながら、そちらに目をやると、山崎さんが半泣きでジョッキを抱えている。顔を真っ赤にした隊士たちがヤジを飛ばす。
「山崎ィ、飲めなかったら切腹だぜィ」
「そんな、いくらなんでもこんなの一気飲みなんてできませんよ!」
イッキだなんて、これで急性アルコール中毒なんかになったらどうするつもりなのだろう。真選組の屯所に救急車を呼ぶなんてことがあったら、世間の評判はますます悪くなってしまう。まったくもう、と私は今日何度目かのため息を吐いた。
「山崎さん」
私は両手いっぱいに空き缶、空き瓶、ゴミを持って彼を呼んだ。
「盛り上がってる所を申し訳ないんですけど、少し手伝っていただいてもよいですか?」
「は、はいっ、喜んで!」
山崎さんは叫ぶように言うと顔を輝かせてジョッキを放り出した。
ー、そりゃねぇよ、逃げんな山崎ィ、などのブーイングの嵐に山崎さんはさらばだ!と言い捨ててこちらに走り寄り、私たちは逃げるようにしてその部屋を後にした。


「ありがとうございます、本当に助かりました!」
山崎さんは流しに皿を置くと、深々と頭を下げた。
「いえいえ、それにしても災難でしたね」
そうなんですよ! と、がばりと勢いよく顔を上げる。
「だって、酷いんですよ! 沖田隊長がミントンのラケットを使って一発芸をやれとかムチャ振りしてきた挙句、つまんねーから切腹もしくはイッキとか言って! あのジョッキの中身、焼酎だったんですよ! 切腹してもイッキしても死んじゃいますよ!」
山崎さんは早口で上司の非道をまくしたてながら、洗い物を手伝ってくれた。
「お疲れさまです」
さんに助けてもらえなかったら、今頃、大広間でくたばってましたよ」
そういって山崎さんは洗ったばっかりの皿に枝豆を盛り付けたものを、私に寄越した。
山盛りの枝豆の意図がわからずに困惑していると、
「助けていただいたお礼と言ってはなんですが」
内緒ですよ、と人差し指を立てて自分の唇にあてる。
「副長、南向きの縁側で一人で飲んでるんで、これを差し入れてきてくれませんかね?」
そう言って、山崎さんは悪戯小僧みたいに笑った。


コトリ、と皿が音を立てた。
「おつまみです」
「あァ、悪ィな」
土方さんは右手にお酒の入ったグラスを持って、縁側に胡坐をかいていた。グラスの中の茶色の液体と氷が月光を反射してキラキラ光っていた。
「みなさんと飲まれないんですか」
隣に座りながら、尋ねるとお酒を勧められた。
「座敷のアレは月見じゃなくてただの飲み会だろーが」
土方さんは新しい煙草に火を点けた。ライターの火が一瞬だけ土方さんのごつごつした指や、伏目がちの睫毛、真っ黒な前髪を明るく照らした。それが余りにも綺麗で、私は思わず息を呑んだ。
「タバコなんてそんな珍しいモンじゃねーだろ」
土方さんはこちらを見遣って、煙を吐き出しながら言った。
「いえいえ、相変わらず格好いいなぁ、と思いまして」
「……普通、素面でそんなこと言うか?」
ふいと、顔を背けるのはきっと照れてるからだろう。可笑しさを抑えきれずに肩を震わせていると、笑ってんじゃねーよ、と頭を乱暴に掻き回された。


「だって忙しくて、お酒を飲む暇なんてなかったんです」
「そいつァご苦労なこった」
土方さんの持つグラスの中の氷が涼しげな音を立てる。お酒を飲む度に上下する喉をぼんやりと見ていたら、私の視線に気がついた土方さんが、飲むか、とグラスを手渡してきた。
「これ、なんですか」
「まァ、とりあえず飲んでみろよ」
グラスの中の怪しい液体の匂いを嗅いでみる。ツンとした香りが鼻につき、匂いだけで酔いそうになった。横目で隣を窺ってみると、土方さんはニヤニヤ笑いながら早く飲めと急かしてきた。意を決して口をつけたはいいものの、喉を焼く強烈な感覚に思わずむせ返った。
「これっ……ウィスキーじゃないですか!? しかもロックだし!」
涙目になる私の横で土方さんは体を折るようにして笑っている。
「勢いよく飲むから、んなことになるんじゃねーか」
頬を膨らませてグラスを突っ返すと、なんだ、もういらねーのか、とまた笑われてしまった。


今夜は雲一つない月見日和だというのに、私と土方さん以外はみんな、月を愛でるのも忘れて飲み騒いでいる。なんて贅沢なんだろう。今この時、月も土方さんも私が一人占めしているのだから。
「しかし、いいモンだなァ」
土方さんがぽつりと満足げに漏らした。
「こんな見事な月を見ながら、惚れた女と美味い酒を飲めるなんてそうそうねェからな」
あんまり突然のことで、一瞬呆けてしまった。土方さんも自分で自分の台詞に驚いたような顔をしている。
「土方さん、今なんて言いました?」
「……なんでもんねェよ」
「あの、よく聞こえなかったんで、もう一度お願いします!」
「うるせェ! 誰が言うか!」
普段こんなことを言う人ではなかった。ほろ酔いで、思わず口に出てしまったか、それとも月に惑わされてしまったのか。私はもう、可笑しいやら嬉しいやらで、笑い声を隠すこともできなくなってしまった。
「ねぇ、土方さん」
「しつこいぞ」
土方さんは急に腰に手を回したかと思うと、私を引き寄せるようにして抱きしめた。布越しに、土方さんの体温が伝わる。腰に置かれた手からじんわりとした熱を感じる。広い肩に、頭を持たれかけさせると、着物から煙草の香りがした。
「これで満足かよ」
頭上から憮然とした声が降ってきた。見なくてもわかる。ぶっきらぼうな風を装って、面白くなさそうな顔をしているんでしょう?
「大満足です」
それでも優しい土方さんのために。今日だけは照れて真っ赤になった耳には気づかないであげよう。