あなたに一体何があったの





君はあの時あんなに打ちのめされていたのにね





思えば、家に来たときから様子がおかしかった。久しぶりの訪問に浮かれて舞い上がる私に、一言二言返事をしただけで、土方さんは口を閉ざしてしまった。疲れているのかと思い、今からご飯作るから、適当にくつろいでいてねと言えば、おう、とだけ返って来た。
冷蔵庫の残り物を漁りながら、今にいる土方さんを覗けば、ちゃぶ台に頬杖をついて、険しい顔をしながら、テレビを見ていた。


「はい、お待たせしました」
ありあわせのもので、簡単なご飯を作る。もちろん、マヨネーズも忘れない。
土方さんと一緒にご飯を食べながら、他愛のない話をする。いつもはお喋りな私より先に、土方さんがご飯を食べ終わるのだが、この日は違った。土方さんは相変わらず押し黙ったまま、箸を動かしている。楽しくなさそうに、緩慢な動作で食事をしているのだ。心なしか、マヨネーズの量も少ないような気がする。土方さんの様子を窺っていたら、不機嫌そうな視線と私のそれが交わった。
「どうした」
「え、いや、なんか、ご飯美味しくなかった?」
「……別に、そんなことねェけど」
それだけ言うと、土方さんは勢いよくご飯をかき込み始めた。しかし、その眉間には深い皺が刻まれている。なにがあったというのだろう。いつのまに、土方さんを不愉快にさせてしまったのか、見当もつかなかった。
食事を終えた土方さんに、お茶はどうかと聞いてみても、いい、の一言で断られてしまった。中途半端に上げた腰を下ろして、途端に手持ち無沙汰になってしまった。


テレビでは白々しいバラエティ番組が、白々しい笑い声を立てていた。土方さんは、やはり少しも笑わずに、頬杖をついてテレビを眺めている。
せっかく久しぶりに会えたのに。一緒にご飯を食べたのに。何で土方さんはだんまりを決め込んだままで、つまらなさそうなのだろう。不満があれば言えばいいのに。疲れているなら寝ればいいのに。無理をして、会いに来てくれなくたっていいのに。
二人でいるのに、一人でいるときより寂しい。頭は重い。指先は冷たい。テレビの音が、ひどく癇に障った。俯いて、卓の木目ばかり見つめていたら、頬に暖かいものが触れた。
「どうした」
触れていたのは、土方さんの指だった。私はそんなに酷い顔をしていたのだろうか。
「疲れてんなら休め。悪かったな、急に上がりこんじまって」
申し訳なさそうにする土方さんに、私は慌てて首を振った。疲れているのは、土方さんの方だろう。今日はずっと険しい顔をしているし、相手にしてもらえなくて寂しいなんて、我儘を言っている場合ではないのだ。
「私はなんともないから、土方さんこそ先にお風呂に入ってきなよ。早く寝たほうがいいよ」
よく見れば、なんだか顔色も悪いような気もする。
「俺ァ、なんともねーよ」
「でも調子悪そうだし」
「いつも通りだ」
「だって、全然喋ってくれないし」
確かに、普段から口数が多いわけではないけれど、今日はいつにも増して黙り込んでいる。早く休んでもらわないと、明日以降の仕事に響いてくるようじゃ、もっと身体はつらいだろう。休みが取りにくい職場なのだからなおさらだ。
「……歯が」
目を逸らした土方さんが呟く。
「え、なに?」
「歯の調子が悪くて、だな」
苦々しげに土方さんは眉をひそめる
「喋り辛ェし、メシは食い難いしよ」
「えっと、それは虫歯ってこと?」
「かもしれねェ」
かも、ではなく、それはきっと、確実に虫歯だろう。じゃあなんだ。今日ずっと不機嫌そうに見えたのは、怒っていたわけでも疲れていたわけでもなく、ただ歯が痛かっただけだったのか。
こんなに心配したのに。怒りを通り越して、疲れてしまう。土方さんは溜め息をつくが、それは私が代わりにつきたいくらいだ。
「土方さん、歯医者は?」
「行ってねェ」
やっぱり、と思う。たいしたことない、時間がないなんて適当な理由をつけて、今までほったらかしだったのだろう。土方さんは刀を振り回すのが仕事なくせに、歯医者とか注射とかを怖がったりするのだ。だからこんなに痛み出すまで、虫歯を進行させてししまったのであろうことは、想像に難くない。
早めに治療に行っていれば、そんなに痛くもないのに、と言ったところで後の祭りだ。こうなってしまったら、いかに素直に歯医者に行かせるかが重要になってくる。
「土方さん、ちゃんと歯医者に行ったほうが早く治るよ」
「……ほっといても治るんじゃねーの」
そんなわけないでしょう、と叱ったところで、土方さんはますます頑なになるだけだろう。怖がりの癖に、意地っ張りなのだから、困ってしまう。もちろん、正面から怖いの、と聞いても逆効果だ。それではいけない。
「土方さん、虫歯ってほっとくとよくないらしいよ」
「そーかよ」
「この前テレビで見たんだけどね。虫歯ってどんどん歯を溶かして、神経をダメにしていって、顎の骨まで腐らせて。虫歯菌の毒素は血管を通して全身に」
「明日、歯医者に行ってくる」
私の話を遮る土方さんの顔色はちょっと青い。少し脅かしすぎたかと思ったけれど、歯医者に行ってもらわなければならないし、私は心の中だけで、土方さんに謝っておいた。


翌日、夜遅く帰って来た土方さんの表情は出発した時より疲れ果てていた。一体、何があったのだろう。
「おかえりなさい、歯医者はどうだった?」
「なァ、お前はサラダはドレッシング派? マヨネーズ派?」
「え、サラダならマヨネーズだけど、なんで?」
「そうだよな、マヨネーズだよな。俺ァやっぱり一生一緒に過ごすってんならお前がいいな」
……それってプロポーズ、なのだろうか。
歯医者に行って来たはずではなかったのか。そこでドレッシング派だと答えていたらどうなっていたのか。
それでも、土方さんが美味しそうにご飯を食べているから、今のところは不問にしておいてやらなくもない。