まー、つまり、大好きってことで 奇跡なんか、待ってられない 気がついたら、雪が降り出していた。足元から、首筋から、冷気が忍び入る。吐息が白く濁り、雪の中に紛れていった。この分だと、明日の朝には雪が積もっているだろう。思い切り息を吸うと、冷え切った酸素が、私を内側から凍らせていくようだった。 今頃街は、鮮やかな光に彩られている頃だろう。光と音楽で溢れている街を頭に浮かべながら、目の前の殺風景な庭を眺める。 確かに、期待なんかしていなかった。けど、全く、一つも何もないというはいかがなものだろうか。真選組隊士などという色気の欠片もない仕事とはいえ、一応、性別・女に生まれたからには、少しくらい、何か……うん、もうなんでもいいからクリスマスらしいことをしたい。庭の松に星を一つ飾るとかさぁ、いや、確かに松も常緑樹だけれど、星を一つ飾った所で松は松だろう。納得なんてできるか。アレがクリスマスツリーだなんて、認めて堪るか。 「おい、寒ィ。いい加減閉めろ」 「イヤです。私、肺ガンで死にたくなんかないんで」 「そいつァ、諦めろ。俺ァ一箱千円になったってタバコはやめねーからな」 「財布にも体にも私にも優しくない! 最低! 鬼!!」 「優しくしてもらいてェんなら、手ェ動かせ。キリキリ働け。残業代くらいは出してやらァ」 「あったりまえでしょ! 時間外労働分の給料はきっちり頂きますからね!!」 「なら、さっさと机に戻れ。充分休憩しただろーが」 襖を閉めて、渋々書類の山に向き合った。どれだけ時間をかけても終わる気がしない。文字通り、山。誇張でもなんでもなく、山。これだけの量をどうやって溜め込んだのだろう。どれだけ手を動かせば終わるんだろう。日付を超えるのは、間違いない。せめて、3時間は寝たいけれど、それも無理かもしれない。絶望感だけが、私を満たす。 「睨んでたって、書類は減らねーぞ」 「……なんで、こんなに仕事をしなくちゃいけないんでしたっけ」 「総悟が仕事をサボりまくってるからだ」 「……なんで、総悟君の仕事を私と土方さんがしなくちゃならないんでしたっけ」 「俺が総悟の上司で、お前が総悟の部下だからだ」 「そうですか」 「そうだ」 納得できない。それでも、仕事はしなくてはならない。私はのろのろと筆を取った。腕が、かなり疲れている。腱鞘炎になったら、労災がおりるんだろうか。 そっと、土方さんを窺えば、土方さんも私に負けないくらいの不機嫌そうな顔をしていた。機嫌の悪い表情で、イライラしてますオーラを撒き散らしながら、それでも黙々と筆を滑らせている。怒ってる顔も格好いいかな、なんて思う私は、もう救い難い病人だろう。 土方さんと二人きりの残業でなければ、仕事なんてどんな手を使っても断って逃げていたはずだ。でも、土方さんは確かに格好いいのだけれど、クリスマスにデートできるなんて思っていなかったけど、そもそもクリスマスの認識があるかどうかも疑わしいけれども! やっぱり一抹の寂しさを感じることもあるのだ。 こんな仕事バカと付き合ってる私が間違ってるのか、と思い余って総悟君に相談したら、そんなことに今更気がつくなんて、お前も相当バカだ、お似合いじゃねーか、バーカ、と返された。あんのどSが。 「おい、百面相してねーで、さっさと終わらせろ」 うるせー、仕事バカとは言わない。が、ささやかな反抗を試みることにした。 「ねー、土方さん。今日、クリスマスですよ」 「そーいや、近藤さんが赤い服着て、でけープレゼント持って志村んちを覗いてたな」 「えーいいなー、お妙さん愛されてんなー」 「で、真っ赤な服をさらに真っ赤な血で染めて病院に担ぎ込まれてたな」 「……お返しのプレゼントにしちゃ、激しいね」 「憎しみと殺意の篭ったプレゼントなんていらねーよ」 「で?」 「あん?」 「土方さんは私にプレゼントはないんですか」 両手を突き出せば、土方さんは露骨に嫌な顔をした。 「……わかった。じゃあ、書類100枚追加で」 「いらねー!! 愛が篭ってないよ、愛が!!」 「いや、でも俺がに心から贈りたいものといえば、これしか思いつかなくてだな」 「贈りたい、じゃなくて押し付けたいの間違いでしょ! 返品します! クーリングオフ!」 なんだよー、ちょっとは乙女心を読んでくれたっていいんじゃないのー。唇を尖らせて文句を言えば、お前のどこらへんに乙女が残ってんだと、真剣な顔で返された。 筆が、紙の上を滑る音だけが部屋に響く。少しずつ、ではあるが確実に書類の量は減っている。このまま、しばらく大人しく仕事をこなして、ある程度きりがついたら、またおねだりしてみよう。ちょっとやそっとで諦める私ではないのだ。 しかし、期待しすぎるのもよくないかもしれない。なんたって、相手はあの土方十四郎だ。顔だけは無駄にいいのに、情緒のじ、も解さないあの土方十四郎だ。いやいや、もちろん私だって、土方さんの顔だけを好きになったわけじゃない。ものすごくモテるのに、浮ついた話がない硬派なところとか、鍛錬に励む凛々しい横顔とか、極希に見せる優しい気遣いとか、挙げればキリがなくなるくらい土方さんにベタ惚れなのだ。 「ねぇ、土方さん」 「なんだ。クリスマスなんかで浮ついてる暇があったらさっさと終わらせろ」 「……こっちの書類の山が終わったんですけど」 「よし、じゃあ次はこれな」 ベタ惚れ、なんだけど土方さんは私のことをどう思ってるんだ。書類作成マシーンか。そんなの嫌だ。うず高く積まれた紙の山を前に、思わず涙目になった。 こんなに仕事を溜め込んでいなければ、今頃、土方さんと甘いひとときを過ごせていたんだろうか。いや、土方さんに限ってそれはないな。愛の言葉を囁く土方さんを想像して、あまりのありえなさに零れかかっていた涙も、からからに乾いてしまった。 でもな、やっぱりな、甘ったるい言葉はなくても、特別なプレゼントなんかなくても、ちょっとお高いレストランで食事とか、それくらいのイベントはあってもいいじゃないかと思うわけです。いつもの見廻りコースから、もうちょっと足を延ばして、イルミネーションに彩られたツリーを見に行くとか、あってもよかったんじゃないかと思うわけです。 クリスマスだったのに、この殺伐とした、煙に塗れた空気はなんなんだ。恨みの念を土方さんに送ってみるも、当の本人は一向に気付かない。 ちくしょう、このやろう、そんなに書類が好きなのか。脇目も振らず夢中になるくらい好きなのか。ちょっとくらい余所見をしてくられたっていいだろう。私が心の中で地団駄を踏んでいる間にも、土方さんは次々と仕事をこなしていく。私が拗ねてそっぽを向いていいる間にも、黙々と筆を滑らせていく。 そうだ、私が今すべきことは、駄々をこねて文句を言うことではなくて、土方さんをお手伝いすることなんだ。仕事が終わったら、多少土方さんが疲れていても、もう存分甘えてやろう、と密かに心に決めて、私は机に向き直った。 時計の鐘の音に驚いて手が止まった。一心に仕事に打ち込んでいたら、いつの間にか小一時間ほどが経っていた。ふと、自分の机を見れば、最初はあんなに高かった書類の山も、ずいぶんと小さくなっていた。おぉ、私もやればできる子じゃないか。 「土方さん、結構仕事がはかどってるよ! 見て! 褒めて!!」 「おー、最初っからやる気を出しときゃァもっとはかどってたのになァ。引き続き励め」 「もっと素直に褒めてくれたっていいのに、ケチ!」 もういい、休憩! お茶を入れてきます、と席を立てば、俺の分も頼む、と土方さんが伸びをしながら言う。重たそうに肩を回す土方さんの表情はかなり疲れている。連日深夜まで机に向かっていれば、そりゃ疲れるよな。 よーし、土方さんには肩叩き券でもプレゼントしてやろう。肩叩きすると見せかけて甘えてやろう。 冷えた廊下は一瞬にして、温もりを奪い去る。私はかじかんだ指先を擦り合わせながら、給湯室へ急いだ。 「はい、お待たせしました」 急須から注がれたばかりのお茶は、良い香りがした。湯呑みを持つだけで、冷え切った指先は痛みを感じる。火傷をしないように、慎重に息を吹きかけていたら、そんなにしてたらすぐに冷めちまうぞ、と笑われてしまった。 胃の腑から広がる熱は、気分を酷く落ち着かせる。このまま横になったら、数秒ともたず、寝てしまえる自信がある。 「おーい、寝るんじゃねーぞ」 土方さんが苦笑交じりに声をかける。暖まって、土方さんも一息つけたようだ。先程までの、殺伐とした雰囲気も、今は影を潜めている。 「まだ寝てないもん」 「寝る気満々じゃねーか」 こんな所で寝たら風邪引くぞ、と笑う土方さんは優しい。土方さんの隣ににじり寄って、暖を取れば、触れた部分から、じんわりと熱が侵食していった。 「ねぇ、土方さん」 「なんだ」 「私、クリスマスプレゼントが欲しいんですけど」 「つーか、お前もめげねーヤツだな。そのしつこさに敬意を払うぜ、俺ァよ」 「モノじゃないし、お金も全然かからないものだからさ」 「……言うだけ言ってみろ」 「プロポーズが欲しいです」 これにはさすがの土方さんも驚いたようで、煙草の箱に伸ばしかけた手はピタリと動かなくなった。私は土方さんにくっついたまま、息を潜めて次の動向をうかがう。そのうち、土方さんはのろのろと動きを再開し、緩慢な動作で煙草を取り出し、ライターで火をつけた。たっぷりと時間をかけて一服する土方さんを、私は辛抱強く待った。 「あー、なんだ、そんなに疲れてるとは思ってなくてよ、悪かったな、もう寝てもいいぞ」 「オイコラ、テメェェェ!! 私の一世一代の告白を寝言のように扱ってんじゃねェェェ!!」 「うっせーぞ、コラァァァ!! テメーがぶっ飛んだこと口走るからだろーが! 第一、ねだるようなもんじゃねーだろ!!」 「なによ、恋人らしいことなんかほとんどしてくれないくせに! 誕生日もバレンタインもクリスマスも朝から晩まで仕事詰め込んで、イベントをガン無視の彼氏にプロポーズくらいねだってなにが悪いってのよ!」 土方さんの背中に手を回して、力の限り抱きつく。広い胸板に顔を埋めて、隙間ができないほど、ぴったりとくっついた。 別に、土方さんにいわゆる“恋人らしいこと”を期待していたわけじゃない。わざわざ休みを取って、ご飯を食べに行く、デートに連れてってくれるようなタイプではないことを、私はよくわかっているつもりだ。もちろん、そんなサプライズがあってもいいなと密かに思うことはあるけれど、残念なことに、そのささやかな願いが叶えられた例は無い。 「お前、なぁ」 「なによぉ、手ェ出すだけ出しといてさー、やることはやっといてさー、結婚は無しとかそういうパターンなわけですかー? もしそうなら、総悟君と一緒に力の限り土方さんを呪うから」 「お前、俺をなんだと思ってんだ。つーか、総悟はまだそんなくだらねーことしてんのか。わかってんなら止めろよ」 「土方さんのエッチー、スケベー、エロ方ー」 「否定はしねェ」 結局土方さんは核心に触れるようなことは言ってくれない。そんなに、嫌かな。イイ歳した男女がこれだけ付き合ったら、普通は結婚を意識すると思うんだけど。 土方さんの背に回した手を解く。額だけを土方さんの胸に預けて、俯いた格好のまま、静かにため息をついた。じゃあもういいもん、と不貞腐れて身体を離せば、強い力で腕を引かれた。まったく予期しなかった力に、私は受身も取れず、勢いよく背中から土方さんに倒れこんだ。 「ちょっと」 何すんのよ、と唇を尖らせて見上げれば、私と同じくらい仏頂面をした土方さんと目が合った。 「、お前な、フツー女はプロポーズ欲しいなんて言わねーだろ」 「そりゃそうでしょ。私だって今日初めて言ったよ」 「いやだからな、そうじゃなくて、普通は黙って、言って貰うのを待ってるモンだろ」 「散々待ちましたー。待って待って、待たされまくって、我慢に我慢を重ねましたー。たまたま、ついさっき、堪忍袋の緒が切れただけです。」 「あのな、つまりな、プロポーズ欲しいって言われて、はいどーぞとは言いにくいだろって話をしてんだよ」 「……つまり?」 「つまり、左手を貸せっつってんだよ」 途端、こらえ切れなかった涙が、後から後から溢れてきた。しゃくりあげる私に、まだ何にも言ってねーだろ、と土方さんが笑う。 最後まで、結婚しよう、とも愛してるとも言ってはくれなかったけれど、照れを隠して無理に不機嫌そうに、指輪は絶対に外すなよ、虫除けなんだからな、という言葉がとても可愛らしかった。 雪はまだ、降り続けているらしい。明日は今日以上に寒いかもしれない。それがなんだというのだ。 シンプルな指輪ごと抱え込むように手を握る土方さんはこんなにも暖かい。 |