あなたにだけって言ったでしょう。





恋は常にアンフェア





「あーあ、いいですねィ、土方さんは」
頬杖をつきながら唇を尖らせて、沖田さんは唐突に文句を口にした。
「今年も可愛い可愛い彼女からチョコを貰うんでしょう。あーあ、やってらんねーや。土方の野郎なんざ、不幸になればいいのに」
部屋で書類と格闘していた土方さん。差し入れにお茶を運んできた私。そこへ偶々居合わせた沖田さん。机に肘をついて、じっとりと恨みがましく土方さんを睨む沖田さんは、不満タラタラのようだ。
「でも、沖田さんも女の子たちから毎年たくさんチョコを貰っているじゃないですか」
沖田さんは、それはそれは整った顔立ちをしている。女の私が羨ましくなる程だ。もちろん、江戸市中の女の子たちにも、とても人気がある。
「名前も知らねー女から貰ったって、数のうちに入らねェや。土方コノヤロー、さんから貰えるからって、調子こきやがって。土方の野郎なんざ、死ねばいいのに」
「万事屋んトコのチャイナ辺りから貰えばいいだろ」
「酢昆布ばっか食ってる酸っぱい小娘の酸っぱいチョコなんざ、食えたもんじゃねーや。土方の野郎なんざ、豆腐の角で頭打って脳ミソぶちまければいいのに」
「沖田さん、良かったら私がプレゼントしますから」
瞬く間に険悪になっていく二人に、思わず口を挟んでしまった。それが沖田さんの作戦だと気付いたのは、もう少し時間がかかったけれど。
「本当ですかィ、さん」
「もちろんです」
「おい、やめとけ。碌なことにならねェから」
「俺ァ、さんの手作りがいいです」
「大したものは作れませんが」
「おい、総悟、調子に乗ってんじゃねーぞ」
「約束してくだせェ」
「はい、必ず」
「ちょっと待てお前ら」
「みんなァァァァ、さんがバレンタインに全員分のチョコを作ってくれるってよォォォ! 手作りチョコを俺らにくれるって約束取り付けたぜェェェ!!」
耳をつんざくほどの大音量に、一瞬なにが起きたのかわからなかった。しかし、我に返って、すぐに事の重大さに私は青褪めた。
「ちょっと、沖田さん!」
「なんですかィ、さん約束してくれたじゃねェですか」
「で、でも全員分を手作りなんて」
「じゃあ、俺ァ、一週間後にバレンタインを楽しみにしていやす」
沖田さんは何事もなかったかのように立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。出て行く間際に、少しだけこちらを振り向いて、悪い顔をして笑って、
「土方の野郎にだけイイ思いはさせやせんぜ」
その捨て台詞は、聞かなかったことにしたかった。


そうしてバレンタイン前日、嬉しそうにする隊士の方たちに、チョコは無理ですなんて結局言い出せなくて、私は深夜までチョコと格闘することとなった。
百人分ものお菓子を作るなんて、初めての経験だ。できれば、最初で最後にしたい。けれども、来年は一体どうなることやら。
今年のバレンタインは混ぜて焼くだけ、お手軽なパウンドケーキを大量に作ることにした。先ほど、最後のケーキが焼きあがって、台所に所狭しと茶色のケーキが、まるでドミノのように並んでいる。
我ながら、壮観だ。そうだなぁ、もう少し冷ましてから、軽くラッピングするか。後片付けのため席を立ったものの、流し台に積み上げられ、散乱するボウルやヘラを目の当たりにして、私は改めて溜め息をついた。


洗剤をスポンジで泡立てていると、食堂の扉が突然開けられた。驚いて、音がした方に顔を向けると、そこに私と同じように驚いた顔をした土方さんがいた。
「明かりがついてると思ってきてみりゃ、お前、本当に人数分のチョコを作ってたのかよ」
「はい、とりあえず。今作り終えたところなんです。土方さんは今まで仕事してらしたんですか? お疲れさまです」
台所を覗き込んだ土方さんは大量のパウンドケーキに目を丸くした。廊下にまで甘ったりィ匂いがしてたぜ、と洗物をする私の傍らに立って、呆れた声を出した。
「つーか、お前、髪にまで甘い匂いが染み付いてんぞ」
「仕方ないですよ、三時間以上もお菓子ばっかり作ってたんですから」
私も甘味は好きですけど、さすがにしばらくはケーキは食べたいとは思いませんね、と言えば、土方さんは、ふーんと気のない返事をした。
「で、これ全部、あいつらにやるのか」
「はい、隊士さんと、隊長さんたちと、近藤さんの分です。あ、土方さんの分は別に作って、もう冷蔵庫に、ってちょっと、なんで勝手に食べてるんですか!」
土方さんは冷ましておこうと、切り分けておいたうちの一つを摘んで、止める間もなく平らげてしまった。
「なんだ、きっかり人数分しかつくってねーのか」
「そりゃ、いくつかは余裕を見込んでますけど、土方さんの分は別にありますから」
土方さんにあげる分のチョコは、もうとうに出来ている。甘いモノがそれほど得意でない彼のためだけに、お菓子の本を読み漁って、一ヶ月ほど前から練習してきたというのに。非難の意をこめて、土方さんを睨みつけても、当の本人は悪びれた風も見せない。それどころか、甘すぎるんじゃねーのかコレ、なんて、文句までつけてくる始末だ。
「そりゃ、チョコ味ですし、お菓子なんだから甘いに決まってます。土方さんの分は、ちゃんと甘さ控え目にしてますから」
これ以上つまみ食いされては、足りなくなってしまう。ケーキを食べ損ねる人がいては可哀想だけれど、かといってこれ以上、ケーキを焼くだけの材料も時間も、私の気力ももうない。
ケーキから遠ざけるように、台所から追い出すように土方さんの背中を押す。しかし、広い背中を押していた腕は突然、手ごたえを失って、私はその勢いのままたたらを踏んだ。壁にぶつかる、と目を閉じたが、結局私は硬く冷たい壁に激突することもなく、気がつけば慣れ親しんだ煙草の匂いに包まれていた。
「土方さん?」
驚いて彼を見上げようとしたけれど、後頭部に添えられた手に力が込められて、私は土方さんの肩口に顔を埋めたまま、身動きがとれなくなってしまった。どうやら、見るなということらしい。
「どうしたんです?」
くぐもった声で再度問い直しても、返事はない。困った人だ。それでも、土方さんの腕の中から逃げ出す理由もなかったので、私も大人しく、その逞しい背中に手を回した。
着物越しに、土方さんの体温を感じる。目を閉じて、全身で幸せな気分に浸っていると、ボソリと土方さんが呟いた。
「……気に食わねェ」
「え、ケーキ、美味しくなかったですか?」
「そうじゃねェ」
頭を抑えられている状態で、土方さんの様子を窺うことはできない。しかし、その声はずいぶん不機嫌そうだ。
「あの、土方さん、何か怒ってますか?」
「怒っちゃいねーよ」
私の声が、不安を滲ませていたせいか、次にかけられた土方さんの言葉は、先程よりは幾分か優しいものだった。
「じゃあなんで」
「そりゃァ、お前」
何とか、土方さんの手をどけて、自分より高い位置にある彼を見上げる。目が合った途端、土方さんは気まずそうな表情を浮かべて明後日の方を向いてしまった。
「手前の女が他の野郎にケーキを作ってんの見たって、面白くもなんともねーだろ」
意外、だった。土方さんもこんなことを気にする人だったなんて。でも、それが分かった瞬間、私は思わず吹き出してしまった。
「てめっ、! 笑ってんじゃねェ!」
「ごめん、なさい。土方さんって可愛いなって思って」
「可愛い訳あるか! いい加減、笑うの止めろ、つーか、こっち見んな!」
再び土方さんの肩に顔を押し付けられるも、私はなかなか笑いを抑えることはできなかった。
「ちょっと驚きました」
「なにがだよ」
「土方さんでもヤキモチ妬いたりするんだなって思って」
「むしろ、そっちが総悟の狙いだろ」
そう言って、土方さんは深いため息をついた。仕方のない人だ。土方さんがヤキモチ妬いたりすることなんて一つもないのに。
「土方さんの分は別に作って、もう冷蔵庫に入っていますから」
「……おう」
「甘さ控え目で、愛情たっぷり込めてるんで」
「……そーかよ」
「私は土方しか見えてなくて、土方さんだけが特別で、土方さんのことが一番好きなんですから、安心して下さいね」
知ってる、と呟いた声は、とても小さいものだったけれど、私にはしっかり届いた。
それに気をよくして、未だにヘラヘラと笑う私に、気持ち悪ィ声出してんじゃねェと土方さんは軽く頭を小突く。土方さんにヤキモチを妬かせるなんて、これは後で沖田さんにお礼を言わなければならない。
緩んだままの頬を土方さんの胸に押し付けて、腕に力を込めた。
この人が私だけの、特別な人。