お前に星を贈ろう





心臓を掴める距離で





街灯の少ない暗い夜道を急ぐ。僅かな月明かりで、腕時計を確認すると午後10時を指しているのが、かろうじて見て取れた。
仕事明けの山崎に、数時間見廻りを代わってくれと頼み、返事を聞く前に出てきた甲斐もあってか、何とか今日中には間に合いそうだった。少し歩みを遅くして、息を吐いた。呼気に含まれる水蒸気は、外気に晒された途端、白く凍り、まるで煙草を吸っているかのようだった。
今日はまた特別に寒い。こんなに寒いというのに、街には色とりどりの光が溢れ、どの店にもいわゆるクリスマスソングとやらが流れていた。夜景の見えるレストラン、有名なイルミネーションスポット。至るところにカップルが押し寄せていて、俺は少なからずイライラしていた。こういう奴らが大挙して街に繰り出すから、俺たちは25日に年末の特別警備とやらに駆り出されるハメになるんだ。夜景もイルミネーションもテレビでいいだろ、テレビで。
もともとクリスマスというのは天人が持ち込んだ、彼らの風習らしい。クリスマスがこの国にやってきてから、まだたった20年ほどしか経ってないというのに、こんなにも持て囃されるとは、この順応能力の高さといったら感心するばかりだ。
頭から離れないクリスマスソングに舌打ちして、俺はの家へと急いだ。


今月の始め頃、クリスマスを一緒に過ごせなくなったとに詫びに行ったときのことだ。
「25日? いいよ、別に。私そんなクリスマスにこだわったりしないし」
いいのかよ。女ってのは総じてクリスマスとか誕生日とかイベントが好きだと思ってたんだがそうじゃないのか。怒られるか、寂しがられるかを覚悟していた俺は肩透かしを喰らった気分だった。
「だって、25日なんて年の瀬じゃない。トシは忙しいでしょう? 仕事なら仕方ないわ」
そりゃあ確かにそうなんだが。あんまりがあっさりしているので、こっちが拍子抜けしてしまった。
「悪いな」
そう言うと、はにっこり笑った。
「いいよ、気にかけてくれてありがとう」
その代わり、今度おいしいご飯食べに連れてってね、と言うから、時間ができたらな、と答えておいた。


それにしてもとはずいぶん長いこと付き合ってきたと思う。急激に湧いたような熱ではなく、いつの間にか一緒にいるのが当たり前になってしまったのだ。
隣に並んだ時に感じる、着物越しの温かさや安らぎが愛しさゆえであることに気付いたのはいつの頃だったろうか。もちろん、それなりに衝突もあったし、喧嘩もしたが、結局俺たちの戻る場所は、お互い相手のいる、その場所なのだ。
だから、そろそろいいか、とも思う。、お前はもしかしたら何をいまさらと思うかもしれないが、俺にとっちゃァ“これから”なんだ。真剣に考えて導き出した結論なんだから、頼むから笑ってくれるなよ。


「ねぇ、結婚指輪ってなんで左手の薬指にするか知ってる?」
そうが聞いていたのは確か数ヶ月前のことだったか。俺が彼女の家でテレビを見ていた時だ。テレビでは来月結婚するとかいう大物女優が、誇らしげに大きな宝石の嵌った指輪を見せ付けるように映っていた。
「いや、聞いたことねーな」
この女優の指輪についている宝石はやっぱりダイヤなんだろうか。いったいいくらするんだ、などと俗っぽいことを考えながら適当に返事をした。
「左手の薬指の血管って、心臓に直結してるんだって。だからこの指に誓いの指輪をするらしいよ」
得意そうに話すだったが、俺はその説に違和感を覚えて反論した。
「……血管って、どれも心臓に直結してるもんなんじゃねーの?」
じゃなきゃ、体中に血を循環させるなんて不可能じゃないか。
「どうだっていいんじゃない?」
は楽しそうに笑う。
「だって心臓って心でしょう? 指輪を通じて二人の心が繋がってるって感じがすれば、それでいいんだよ、きっと」
はどちらかというと、現実的な考え方をする女だ。だから心を繋ぐなどと、そんな夢見がちなことを言うとは思わなくて、俺は少なからず驚いた。しかし、の言うことには不思議と説得力があり、俺は妙に納得したのだった。
やっぱ女ってのは、結婚指輪とか欲しいモンなのかと聞けば、そりゃあ、ないよりあったほうがいいに決まってるよ、と返された。その言い草が、さっきとは打って変わっていかにもらしくて、俺は思わず笑ってしまった。


にしても寒い。冬だから当たり前なのだが、思い出し笑いをしたら、唇の隙間から冷たい空気がいっきに流れ込んできて、俺を現実へと引き戻した。
空を見上げると、今にも降ってきそうなほどの星が、数え切れないくらい散りばめられている。ずっと星を眺めていると、星が降ってくるのではなく、自分が空に吸い込まれていくような錯覚に陥った。
明るい星も小さな星も懸命に瞬いている。しかし、どんなに星がキレイに輝こうが、俺の懐に忍ばせているコイツには敵うまい。指先でそれに触れて、俺は歩みを速めた。は驚くか、それとも喜んでくれるか。想像しては頬を緩ませている俺はそうとう重症だ。
の家までもうそんな距離はない。だが、この残り数分がなんとももどかしい。なァ、俺がこいつを買うのに、どれだけ勇気がいったかお前にわかるか?
遠くに小さく見え始めた灯りを目指して、俺は一心に足を動かした。


もう一週間ほども前のことだ。たっぷり5分も店先で迷って、俺はようやく自動ドアをくぐったのだった。すると店に入った途端、上品な微笑を浮かべた店員に、なにかお探しですかと声をかけられた。指輪のサイズなどをしどろもどろになりながらもなんとか伝え、店員に言われるままに、いくつもの商品を見て回った。
これもあれもと机の上に並べられた指輪の中に、一つだけ目をひいたものがあった。いや、目をひいたなんてもんじゃなく、コイツだ、と俺は直感で思った。小さな石がついた、シンプルな指輪だったが、それはまさしく、俺が探していたものだと、感じたのだった。
俺はその場でそいつを買い、店を後にしたが、その頃には慣れない店に来た緊張のためか、体にびっしょりと汗をかいていた。


そして現在、だんだんと近づいてくるの家の灯りを見ながら、また俺は背中に汗が伝うのを感じていた。あとはこいつをに渡すだけだというのに。これが最後にして最大の難関だということに、なんで俺は今まで気がつかなかったんだ。
早く会いたい。しかしなんて言やァいいんだ。それでも足は止まらない。まるで、鉄が磁石に引き寄せられるように。いや、どっちかというと、磁石と磁石か。俺だけが想ってるってんじゃァ不公平だもんなァ。
愛おしい。突き詰めてしまえば、たったそれだけの感情だ。それでもこの気持ちを言葉にして伝えるのは、なんて難しいのだろう。だがもし、この指輪が二人の心を繋ぐものであるならば、俺の気持ちも想いも、確実にの心に直接響いてくれるはずだ。
柄にもなく、聖夜に願でもかけてみるか。今日が人生の伴侶を得る、最高の一日であるように。