愛の試練だと思えばいいでしょ? 既に知っている君の狡猾さについて 「トシはチョコって欲しい?」 俺のベッドに寄りかかって雑誌を眺めていたが、唐突にそう聞いてきた。 暖房の効いた、暖かい部屋。そこに勉強会と称してが上がり込んできたのは数時間前。まぁ、案の定というべきか、勉強なんて行為は数十分と保たず、結局お互い雑誌を読んだり、携帯をいじりだしたりして、今に至る。 で、冒頭のチョコレートやらだが。 の読んでいる雑誌の記事には、大きくバレンタインの特集が組まれている。そこには、“本命チョコの作り方!”とか“気になる彼が必ず落ちる最高のシチュエーション!”とかが、カラフルな文字でデカデカと書きたてられている。 の言うチョコってェのは間違いなくバレンタインチョコのことだろう。でもなんだよ、欲しいって。俺たちは付き合ってるんじゃねーのかよ。 「だってトシって甘いものそんなに好きじゃないでしょ? つくっても迷惑だったらイヤだなって思って」 確かにチョコを好きだといった覚えはねーが、嫌いだと言った覚えもねーぞ。いらねーって言ったらくれないつもりなのかよ。バレンタインだぞ、バレンタイン。いわゆる恋人たちの行事ってヤツだろーが。今の今まで俺は貰えると信じて疑ってなかったぞ。 しかし改めて、欲しいと聞かれると、素直に欲しいとは言いづらい。物欲しそうにしてると思われるのは癪だ。 「どう?」 は雑誌から目を離し、小首を傾げて聞いてくる。小動物みたいで可愛い。いや、そうじゃなくて。 「……どっちでもいいけど」 平静を装って、携帯をもてあそびながら答える。 「そっか、わかった」 ちょっと待てェェ! お前、今なにがわかったんだ。俺ァ、お前がなに考えてんのかわかんねーんだけど。え、結局くれるの? くれないの? 俺の葛藤なんか梅雨知らず、は暢気に雑誌のページをめくっている。もうこの話は終わりといわんばかりの雰囲気が漂っている。マジで? マジでこれでおしまい? 正直に言ってしまえば、確かに甘ったるいものはそんなに好きじゃない。わざわざ買ってまで食べたいとは思わない。 でも好きな女の子がつくってくれたってェなら話は別だ。しかも付き合ってから初めて迎えるバレンタインだ。今では面倒で退屈だっただけの日が、こんなに楽しみだったことはなかった。 それなのに、欲しい? って今更聞かなくてもわかるだろう、そんなの。 「あ、ねェ、見てトシ。このチョコおいしそうじゃない?」 どれだよと身を乗り出しての指差す記事を覘きこむ。そこには上品そうなチョコが、これまた上品そうな箱に収まっていた。 そうだよな、やっぱりくれるよな、バレンタインだし、と俺は胸を撫で下ろした。でも多少、形が歪んでようが、味が落ちようが、既製品よりの手作りがいい、といいかけたそのとき 「今年の友チョコはこれにしようかな。値段もお手頃だし」 え、友チョコ? なにそれ。思い切り肩透かしを喰らい、出かけた言葉は口の中で行き場を無くす。 「友チョコっていうのはね、女の子同士で交換するチョコのことだよ。私はお妙ちゃんと、神楽ちゃんと、九ちゃんと、さっちゃんと、キャサリンと交換するんだ」 みんな、どんなの持って来るかなぁ、お妙ちゃんのは手作りじゃない方がいいなぁ、とは楽しそうにしている。 女友達にはあげるくせに、俺にはくれないのか。お前はそこに疑問を持たないのか。どう考えたっておかしいだろう。 釈然としないものを感じる。言いたいことは山ほどある。が、やっぱり欲しいんじゃないと笑うが容易に想像できて、俺は口を開くことができない。 これは早急に対策を立てねばならない。ここまできて、今更欲しいだなんて、言えるわけがない。が自ら進んで、あげると言わせなければ。しかしそんな上手い方法があるか。 俺は携帯を放り出し、ちゃぶ台の上の参考書を引き寄せた。適当なページを開いて、勉強するフリをしながら、頭をフル回転させる。 なにかないか。一発逆転ホームランみたいな有効な手は。参考書越しにを盗み見る。しかしは、やはり俺のほうなんか見向きもしないで雑誌を読みふけっている。 いくらなんでも、愛情が薄いんじゃないのか。それこそ、彼氏の家の、彼氏の部屋に遊びに来てるって状況で、俺をほったらかしにして、雑誌に夢中たァ、どういう了見だ。 いやいや、ここで怒ったところで仕方がない。問題はいかにしてチョコを渡させるかどうかだ。 と、ここで近年稀に見る名案が浮かんだ。思わず心の中でガッツポーズを決める。さりげなくの隣に移動し髪を軽く引っ張ると、どうしたのとでも言いたげに、こちらに顔を向けた。 「お前さ、ホワイトデーはいいのかよ?」 「ホワイトデー?」 「あァ、俺ァチョコはどっちでもいいんだけどよ、チョコを貰わなかったら、もちろんお返しもしなくていいんだよな?」 そう、これから1ヶ月後の3月14日。今月俺にチョコを渡さないってことは、むざむざバレンタインのお返しを貰う権利を放棄することだ。お前はそれで構わないんだな? いくらでも、これならきっと喰い付くだろう。目の前にエサをちらつかされて、飛びつかないなんて、コイツに限って考えられない。と、踏んでたのにどうだ。 「構わないよ」 「え、いいのかよ」 思わず間抜けな声が出てしまった。構わない? 確かにそう言ったのか、コイツは。 「だって、チョコをあげてもないのに、お返しを請求するわけないじゃない。いくらなんでも、そこまでガメツクないよ」 そう言って、はにっこりと笑った。 そうじゃねーよ。ガメツイとかそういうもんだいじゃなくてだな。お前はホワイトデーに何も欲しくないのかよ。それともなんだ。そんなにチョコをつくるのがイヤなのか。だったら、料理が苦手だとか、一言添えてくれりゃいいじゃねーか。 俺が悶々としている間に、はまた雑誌に目を戻していた。おい、お前そんなに雑誌が好きか。俺よりもか。彼氏が隣でこんなに苦しんでるってェのに、ことごとく無視か。 いい加減虚しくなってきた。このまま俺が努力しても、暖簾に腕押し、期待してた効果が表れるとは考えにくい。それとも俺が最初に、素直に欲しいといえばなんの問題もなかったのか。返す返すも悔やまれる。でも今更正直になれるくらいなら、こんな苦労なんざししゃいねェ。 半ば本気で諦めかけた時、は俺に追い討ちをかけるかのように爆弾を投下してきた。 「銀八先生にはトリュフくらいでいいかなぁ、簡単だし。いいよね、どうせ先生のことだから、みんなからも貰うだろうし」 のこの一言で、俺は一気に覚醒した。銀八って、あの銀八? 俺らの担任の、あのヤル気のない教師? 「お前、銀八にチョコやるの?」 俺にはくれないくせに? 自然、口調が非難めいたものになる。 「うん、だって昨日のホームルームで、14日にチョコ持ってこいって言ってたでしょう? 日頃お世話になってるし、いいかなーって思って」 あんな適当な教師に世話になんかなったか? いや、よしんば世話になったとしても、銀八にはチョコを用意するくせに、日頃からお付き合いしてる俺の分のチョコがないのはどういうわけだ。 納得できない。できるわけがない。ここまでないがしろにされて、笑って許せるほど、俺ァできた人間じゃねーぞ。 「おい、――」 「ねぇ、トシ」 が雑誌を閉じて、体ごと俺に向き合う。その表情はまるで、イタズラが成功した小学生のように楽しげで。 「トシは、バレンタインチョコ欲しい?」 そのの笑顔を見て、俺は一瞬にして、全てを悟った。そりゃ俺の努力も不毛に終わるわけだ。はなから、の掌で踊らされているようなものだったのだから。 どっちでもいい。俺は最初、こう言った。でも違ったんだ。の求める回答はそうじゃなかった。正解はたった一つで、それに答えられないと、チョコを没収されるというシステムだったのだ。 全く、なんて罰ゲームだ。おかげで少しばかり寿命が縮んだぞ。 どうするの、とは返事を催促する。聞かなくたってわかるだろう、そんなの。お前には俺の、葛藤も苦労も怒りも全て筒抜けだったんだろう。なんてタチの悪い女だ。 は黙って俺の目を覘きこむ。あァ、畜生、わかったよ。言うよ、言えばいいんだろ。 「……欲しいです」 途端、はやったぁと歓声を上げて俺に抱きついてきた。 言ってくれなきゃどうしようと思ったよ、腕にヨリをかけてつくるからね、もちろん甘さ控え目にするからといったようなことを、早口で捲くし立てる。楽しみにしててね、というの満面の笑みに、俺は文句も言えなくなる。 「くだらねーことしやがって、チョコより先に喰っちまうぞ」 「そういうことする人にはチョコはあげません」 知ってる、と俺は悔し紛れにそっぽを向く。お前に勝てっこないことくらい知ってるさ。未だ抱きついて離れないの頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。 なァ、。俺はお前が思ってる以上にお前に惚れてんだぜ。だからこんな小細工しないいでくれよ、頼むから。 腕の中の温もりに、俺は幸せな溜め息をついた。 |