夜空を燃やし、胸を焦がす 美しいまま死んでいく、お姫様になりたかった ドキドキしすぎて、昨日はよく眠れなかったんだ、なんてまるで子どもみたいだけど、本当にそうだったのだから仕方ない。目覚まし時計をセットして、浴衣も簪も全部準備して、床に就いたのは、まだ随分早い時間だった。 それなのに、興奮していたせいか、なかなか睡魔は訪れず、何度も寝返りを打っているうちに、結局いつものような時間になってしまったのだ。 土方さんとの約束は夕方からだから、充分に間に合うのだけれど、それでも久しぶりのデートはしっかりと手間暇かけて、おめかしして行きたいと思うのが女という生き物だ。自分の、あまりの気合の入りように、少し苦笑しながら時計の針を目で追った。 こんなふうに、土方さんと外で会うのは何週間振りだろう。土方さんが家にご飯を食べに来てくれたり、見廻りのついでに寄ってくれることは何度もあるけれど、今日みたいに二人で一緒に出かけるなんて、本当に久しぶりだ。 お互い社会人で、土方さんは特に不定期にしか休みが取れないから、こうやって揃って休める日なんてほとんどない。仕事だって忙しいのに、わざわざ時間を割いてくれたんだ、と思うと頬が緩んでしまう。 先週の今日、私は家で一人でテレビを見ていた。 その日はちょうど大きな花火大会があるとかで、ニュースでもアナウンサーが次々と打ち上げられる花火に目を細めながら中継を続けていた。私は、土方さんがその花火大会の警備に駆り出されると聞いていたので、もしかしたら偶然テレビに映るかもしれない、と目を皿のようにして画面の端々まで息を詰めて注視していた。 もちろん、テレビに土方さんが映し出されることはなく、つつがなく中継は終わった。そして、テレビを消した途端、土方さんを探し出すのに夢中で花火なんか全然見ていなかったことに気がついたのだ。 まぁ、いいか。テレビの花火なんてニセモノみたいなものだし、と私は悔し紛れにそう呟いた。 人ごみの熱気、屋台の明かり、お腹に響く爆発の音――。それらが全部揃って、ようやく花火大会というのは楽しめるのだ。 にしても。ここ数年、全然花火を見ていない。仲の良い女友達は、それぞれの想い人と出かけてしまうし、土方さんは忙しいし。本当に、羨ましいことこのうえない。私だって、土方さんと手を繋いで、屋台を回りたいし、花火を見たい。 でも、どれも土方さんが真選組を定年退職するまで無理かもな、と思い憂鬱な気分で私はちゃぶ台に突っ伏した。 テレビを消した、静かな部屋で、どれだけその格好でいただろうか。何度目か分からない溜め息をついていたら、突然手元の携帯電話が振動して、私に着信を告げた。 ふくれっつらのまま、ディスプレイを覗き込んだら、そこには、今まさに私の心を占めている、愛しい人の名前が表示されていた。慌てて飛び起きて、逸る気持ちを抑えて通話ボタンを押す。 現金なものだ。さっきまでの荒んだ思いはどこへやら、心はふわふわと浮かれている。 「もしもし」 「おう、か、俺だ」 携帯から流れてくる心地良い低い声に心臓が跳ね上がる。 ねぇ、土方さん、私さっきまでテレビで花火大会を見てて、もしかしたらお仕事してる土方さんが映るんじゃないかって思って、一生懸命探したんだけど、全然見つけられなくて。今、帰り道? お仕事お疲れさま、花火はどうだった? そう捲くし立てそうになり、私は深呼吸して、お腹に力を入れた。電話一つでどれだけ興奮しているのだ、私は。 「お前、来週の土曜日空いてるか」 「来週ですか」 自分を落ち着けるのに精一杯の私に、構わず土方さんは続けた。混乱する頭の中から、なんとか記憶を呼び起こす。来週の予定は、確か何もなかったはずだ。万一、何かがあっても、そんなの土方さんが優先に決まってる。 「じゃあ空けとけ。花火に行くからな。17時に迎えに行く」 土方さんは早口でそう告げると、一方的に電話を切った。 そうして私はというと、電話の受けた姿勢のまま、しばらく動けずにいた。 事務的な口調に、必要最低限の情報。その中から花火、や来週の土曜日といったキーワードを拾い上げて、正しく意図を理解するのにかなりの時間がかかってしまった。と、同時に私は握り締めた携帯電話を放り出す勢いで舞い上がった。これって、もしかしなくてもデートのお誘いよね、しかも花火大会だなんて。今日の花火大会の警備をしながら、私のことを少しでも思い出してくれたのかしら。だとしたらこんなに幸せなことはない。私は自然に弧を描く口元を締めることも忘れて、携帯電話を抱き締めたのだった。 それからの一週間の、長いことったらなかった。 私は暇さえあれば、時計とカレンダーを眺めて、なかなか進もうとしない秒針を恨んでいた。一日が、一時間が、一分が、いつもの何倍も長い気がする。 土方さんからの連絡も、なかなか来なかった。もしかして、急な仕事が入ったのかもしれない。突然忙しくなって、休みが取れなくなってしまったのかもしれない。 不安に駆られて、こちらから連絡を取るか、迷いに迷っている時、金曜日になってようやく土方さんからの着信があった。 「か」 いつもどおりの声に、私は思わず胸を撫で下ろした。 「明日なんだが、17時に家まで迎えに行くから用意しとけよ」 「どこへ行くんですか?」 「すぐ隣の街の花火大会だ。そこまで有名じゃねーから、そんなに混んでねェだろ。」 隣り町かぁ、私の心は早くも浮かれていた。まるで、遠足前の子どもだ。それでも私は一つ、心配事があった。 「土方さんは、土曜日は休めるんですか?」 それは唯一にして最大の懸案事項だ。土方さんは、その仕事の性質上、休みが突然潰れることが非常に多い。デートのドタキャンだって、一度や二度ではないのだ。 「休みじゃなきゃ誘ったりなんかしねーよ。よほど急な捕物でもない限りな」 その急な捕物だって、いつあるかわからない。なおも不信感が絶えない私に土方さんは続ける。 「土曜に休みを取るために、今睡眠時間削ってまで働いてんだよ。せいぜい楽しみに待っとけ」 そう言うと、土方さんはじゃあな、と言ってさっさと電話を切ってしまった。 デートの直前まで連絡を寄越さないくせに、土方さんはいつも偉そうだ。でもそれも、照れ隠しであることがわかっているから、苦笑こそ漏れても、今さら腹を立てるようなことはしない。それに、土曜日に休みを取るために、一生懸命仕事を頑張っているみたいだし。今日は特別に許してやろう、と既に切れた電話に向かって私は呟いた。 そうして土曜日当日。私は一番のお気に入りの浴衣を箪笥の奥から引っ張り出して、いつもより丁寧に髪を結い上げた。入念に化粧をして、準備万端で土方さんを待ち受けた。 何度も鏡の前でおかしな所がないか、チェックして、目は時計と携帯ばかりを往復している。 今か今かと落ち着かない気持ちで待つこと十数分、17時5分前に、ようやく呼び鈴が鳴った。半ば駆けるようにして玄関の戸を開けた私に、土方さんは、そうホイホイと扉を開けるな、と顔を顰めてたしなめた。 「呼び鈴を押したのが泥棒だったらどうすんだ」 「大丈夫です、ピンポンってなった瞬間、テレパシーで土方さんだってわかったから」 お前、頭変なんじゃないのか、と土方さんは呆れた風に溜め息をつく。 変なのは昔っからよ、土方さんのことを考えると、正気なんかじゃいられないから、とはさすがに言えなかったので、失礼ねぇ、と適当にごまかしておいた。 戸締りをして振り向くと、土方さんは私を見下ろすようなかたちで視線を固定したまま、動こうとしない。今日は土方さんのために、着飾ったのだが、そこまで凝視されるとさすがに居心地が悪い。 「え、と、あの、土方さん?」 花火大会、行かないんですか、と訊ねると、ようやく土方さんが口を開いた。 「初めて見る浴衣だ」 「えぇ、まぁ去年買ったんですけど、ずっと着る機会がなくて、今日初めて袖を通したんです」 一年前に買ったこの浴衣は、出番がなくてずっと箪笥の肥やしになっていたものだ。店先に掛けてあったこの柄に、私は一目惚れして、思わず衝動買いしてしまったのだ。紺地に色鮮やかな夏の花が描かれているもので、さして目新しい柄ではなかったのだが、気がつけば財布が随分軽くなっていたのを覚えている。 自分では気に入っているのだけれど、土方さんはあまり気に入らなかったかしら。似合いますか、と首を傾げて訊ねてみたのだが、当の本人はそうか、と一言だけ残して、私を置いて、歩き始めてしまった。肩透かしを食らった私は、今日のためにおろした、まだ履きなれない下駄をつっかけて、慌てて土方さんを追いかけた。 「土方さん、何か怒ってます?」 「怒ってねェ」 「でも」 「なんでもねェ」 「じゃあ、照れてます?」 「なんでそうなるんだ」 そう言いつつ、土方さんは決してこちらを振り向こうとしない。それでもちらりと見えた頬が赤かったから、私は満足した。 必死で笑いを抑える私に、笑ってんじゃねェと顔ごとそっぽを向いてしまう。それでも、半分小走りだった私のために、少し歩みを緩めてくれたのだから、本気で怒っているのではないようだった。土方さん、今日はなんだか変ですね、と言うと変じゃねェと、やはり憮然とした声が返ってきて、その言い方が拗ねた子供のようで、また私は笑ってしまったのだった。 それほどの規模の大きな祭ではないとのことだったが、所狭しと並んだ屋台に、芋の子を洗うような人ごみは大したものだった。 黄色い明かりを放つ提灯、色々な食べ物のにおいが混じった暑い風、、幼子の泣き声、至るところにお祭り騒ぎが溢れていた。目を輝かせて、浮かれた気分に浸っていると、土方さんに強く手を引かれた。 「ガキと同じ顔してんじゃねーよ、はぐれんなよ」 笑いながらそういうと、しっかりと手を握ってくれた。土方さんは私の歩調に合わせて、歩いてくれる。 浴衣を着て、手を繋いで、屋台を冷やかして、花火を待つ。こんな、普通の恋人同士なら簡単にできることが、私にとってはひどく難しかった。そこに不満はないが、やはり一抹の寂しさは拭いきれない。友達の話を聞くたびに、遠くで花火の音が聞こえる度に、羨ましくて、土方さんが恋しくて堪らなかった。 それでも、もし土方さんが仕事を放り出して、いつでも私を優先してくれるように人だったら、私はきっと土方さんを好きになったりはしなかっただろう。真選組での仕事を大切にしていて、常に命を掛けているから、土方さんはこんなにも魅力的なのだろう、と感じた。 「おい、まだ食うのかよ」 「当たり前です、まだ足りないくらいです」 お祭と言ったら、まずわた飴、かき氷、チョコバナナ、そしてお店の人に無理を言ってマヨネーズを山盛りにしたたこ焼きに焼きそば。自分で家でつくれる料理なはずなのに、屋台で買うと、何でこんなにも美味しくて楽しいのだろう。端から一つ一つお店を覗いてみたくなってしまう。 一方、土方さんはというと、私に引っ張られるがままになっている。なにか欲しいものはあるか、と聞いてみても、特にない、とそれだけしか言わない。疲れたか、と心配しても休むほどじゃないと返される。それどころか、行きたい所があるなら付いてってやるが、迷子だけにはなるな、と言われてしまう。確かにこの人ごみでは、しっかりと手を繋いでいないと迷子になってしまう。 私は、硬く手を握りなおし、土方さんの方に身を寄せて、次の屋台へと進んだ。 「ね、土方さん、射的って得意ですか?」 「射的だァ?」 「だって、お巡りさんじゃないですか。私、すっごく下手なんですよ」 賑やかな射的の屋台を指差しながら、土方さんの袖を引く。 「お巡りつったってなァ、俺ァほとんど刀しか使わねーし」 「土方さん、私、あの下から二段目の人形が欲しいです」 「オイ、コラ、ちったァ人の話を聞けよ」 一回しかしねーからな、と土方さんは文句を言いながらも、懐から財布を出す。手拭いをしたおじさんから渡された玩具の銃を土方さんは構えるのだが。予想通りというべきか、予想以上というべきか、銃を構えて狙いをつける土方さんはいつにも増して様になっている。 私は胸の前で手を組んで、人形なんかそっちのけで土方さんを見つめていた。 少し細められた瞳も、袖口から覗く腕も、引き金にかけられた指も、私の目を奪うには充分すぎた。 パン、と乾いた音に驚いて、我に返ると、人形があっけなく転がり落ちてくる。取れちゃったのか、もう少し楽しんでたかったのになぁ、と残念に思ったのも束の間、自慢気な土方さんの表情を見たら、全て吹き飛んでしまった。 「ありがとうございます。お上手ですね、カッコ良かったですよ!」 とってもらった人形を抱き締めながら、興奮してお礼を言う。てっきり土方さんのことだから、照れて憎まれ口を叩くかと思っていたのだが、当たり前だ、と鼻で笑われてしまい、逆に私が照れてしまった。何をしてても似合うんだものなァ、反則よね、と赤い顔のままそう思った。 目一杯、お祭を楽しんでいたら、いつの間にか、かなりの時間が過ぎていたようだ。そろそろだぜ、と呟いた土方さんの言葉を理解する前に、大きな音を轟かせて、夜空に大輪の花が咲いた。 視界いっぱいに、夜空を焦がす色とりどりの炎。私は感嘆の声すら上げることもできず、呆けたように、空を見上げた。しばらくその姿勢のまま空を眺めていたのだが、突然腕を強く引かれ、私は思わずバランスを崩してよろめいた。 「どうしたんですか」 「いいからこっち来い」 土方さんは花火に夢中になっている人の波をかき分け、大股で進んでいく。私も土方さんに必死でついていくのだが、いかんせん、リーチが違いすぎる。人の足につまずきそうになりながら、なんとか小走りで土方さんを追いかける。 どうしたのだろう、花火も見ないで。息を乱して、うっすらと汗をかいて、ようやく辿り着いたのは人気の無い、神社の境内だった。 ようやく息を整えて、私が疑問を発するより早く、土方さんは天上を指した。 「なかなかよく見えるだろ。絶好の穴場だぜ」 そういって土方さんは得意気に笑う。確かに、祭の喧騒が遠い。大きく響くのは花火の爆発音だけで、視界を遮るものもほとんどない。 「よく、こんな場所を知ってましたね」 「見廻りでここら一帯は歩き尽してっからな。ここからなら、人ごみに邪魔されずに見られんだろ」 もしかして、見廻りの度に落ち着いて花火を見られる場所を探してくれていたのだろうか。そんなことを訊ねてみた所で、例えその通りであったとしても、土方さんは決して首を縦には振らないだろう。私は小さく気付かれないように、お礼を言って、土方さんに寄り添った。 先週テレビで見た花火ほど豪華ではないが、それでもやっぱり生で見る花火は格別だった。辺りを明るく照らす炎、地を震わす音、そして隣に立つ人の温もり。 愛しい人と二人で見る花火がこんなにも美しいものとは、予想以上だった。瞬きをする時間すら惜しい。次々と打ち上げられる花火。 しかし、その花が咲くほどに、私の胸のうちの不安も大きくなっていく。次か、その次かといつかはやってくる瞬間に、身を竦ませた。 ひときわ大きな花火が咲いた。遠くの方から微かに拍手が聞こえる。おそらく、今のが。 「これで、終わりだな」 ポツリと土方さんが、呟いた。 「終わり、みたいですね」 私も小さく答える。それでも、まだ煙の残る黒い空を見つめたまま、動くことができないでいた。 「どうした」 いつまでも虚空を眺めたままの私に、土方さんは声をかける。 「いえ」 それでも、まだ私は動けない。 「名残惜しいな、と思って」 テレビで放映されるほどの派手さはない。珍しい趣向が取り入れられていたわけでもない。それでも、土方さんと初めて二人で見た、特別な花火だった。いつまでも終わらなければいいと思うのは当然ことだろう。 「また、来年来ればいいだろう」 私は驚いて土方さんを見上げた。来年、それは別段遠い未来のことではない。それでも、真選組に身をおいている土方さんには、いつ、何があったっておかしくない。そんな、一年も先のことを口に出すなんて、今まで怖くてできなかった。 「来年、絶対に来るなんて、保障はできねェが、俺だってとまた一緒に見たいとは思ってるしよ」 土方さんは私の肩を引き寄せる。私もそれに逆らわないで、土方さんの胸に顔を埋める。そのまま土方さんの背に手を回せば、土方さんも私の背を軽く叩いてくれる。 来年、また二人で来ればいい。でも、今この瞬間だって、私にとっては涙の出るくらい大切なものだ。まだ帰りたくないと、子どものような駄々をこねる私に、土方さんは苦笑する。 「花火っつーのはな、咲いたと思った途端、消えるからいーんだよ。いつまでもしぶとく咲いたまんまじゃ愛でようなんて気も起きねェだろ」 だから、また来年を楽しみに待てるんじゃねーか。 今日が幸せなほど、明日が来なければいいと私は思う。今日が幸せなら、明日も幸せだろうと土方さんは言う。 そんな単純にことは運ばないとわかっていても、来年も、再来年もできればずっと一緒にいたいと思うのは、私だけではないことがわかって嬉しかった。 でも、もうあと5分だけ、このままでと抱きついたままの私の我儘くらいは聞いてちょうだいね。 |