貴方の美しさには、月夜だって恥ずかしがるでしょう。 贋物の太陽 軽やかな音をたてて玄関のチャイムが鳴った。 こんな夜遅くに訪ねてくるのは一人しかいない。ドアを開けると、思い描いていたとおりの人が仏頂面をして立っていた。 「相手の確認もせずに、いきなり扉を開けるのは無用心だろう。俺が強盗だったらどうするつもりだ」 「泥棒はインターホンを鳴らしたりしないから大丈夫です」 屁理屈をこねおって、と溜め息をつきながら、土産だと言って小太郎さんは左手に下げていたビニール袋を目の高さまで掲げた。 お礼を言って、中身を見てみるとお団子が入っていた。 「月見団子ですね。すぐに用意するのであがってください」 「いや、それには及ばん」 どういうことですかと聞き返す前に、小太郎さんが右手を差し出した。 「月見に行くぞ。急いで準備しろ」 人通りのない道を、小太郎さんと手を繋いで歩いている。どこに行くのとしつこく聞いてみても、着いてからのお楽しみだといって結局教えてくれなかった。 「でも、月見に行くって言っても」 先にどんどん歩いて行く小太郎さんに話しかける。 「曇ってますよ」 生憎、今日は雲が多く、月は見えそうになかった。せっかくの十五夜なのに、と残念に思っていると、小太郎さんはちらりと空を見上げて力強く断言した。 「大丈夫だ、じき晴れる」 「そうなんですか?」 「あぁ。今朝、結野アナが言っていたからな」 小太郎さんもテレビを見るんだと当たり前のことを思った。朝、起きぬけの顔でテレビのスイッチを入れるのだろうか。この艶やかな髪にも、寝癖ってつくんだろうか。エリザベスと二人で、ちゃぶ台を囲んでご飯を食べながらニュースをチェックする小太郎さんを想像したらなんだか可笑しくなってしまった。 一人で笑っていると、急に小太郎さんが強く手を引いた。何事かと思う間もなく、私は建物と建物の間の狭い道に押し込められた。 「どうしたんですか」 「静かに」 二人して細い通路に体を小さくして入った。自然、小太郎さんに抱きすくめられるような形になり、私は思わず身を固まらせた。しかし、小太郎さんは私が感じているのとはまた別の緊張に身を強張らせているようだった。息を潜めて辺りを窺っていると、小太郎さん越しに黒い服を着た集団が通り過ぎるのが見えた。あれは確か、真撰組の。無意識のうちに小太郎さんの着物を掴んでいた。 どうか、気がつかないで。彼らの声が遠ざかっていく。その声が小さくなり、ついには聞こえなくなるまで私たちは動けずにいた。 時間が経つのがひどく遅く感じた。小太郎さんが少し身じろぎしたのを機に、なるべく小さい声で呼びかけた。 「ねぇ、小太郎さん、家に戻りましょう」 家のほうが警察に見つかる可能性は低いはずだ。お月見と言って出歩いて、捕まってしまったのでは悔やんでも悔やみきれない。 「大丈夫だ」 そういって小太郎さんはまた断言する。 「どうして」 「こんな月の美しい夜に、月見もせずに仕事をしている無粋な連中なんぞに、俺は捕まるまいよ」 自信満々に言い切って、さ、行くぞ、とまたどんどん手を引いて歩き出した。 捕まらない、だなんて、この根拠のない自信はいったいどこから湧いてくるんだろう。 私にできるのは、捕まらないで、逃げおおせてと祈ることと、たまに夜に訪ねてくる小太郎さんを迎え入れることだけなのに。毎日不安で潰れてしまいそうなのに。 必ず帰って来てね、と小太郎さんの背中に願う。小太郎さんを見送った、その後ろ姿が最後になるようなことがあったら、きっと私は死んでしまうだろうと思った。 「さぁ、着いたぞ」 手を引かれて連れてこられたそこは、すすきが生い茂る河川敷だった。 「すごい」 こんな場所が江戸にあったなんて知らなかった。 「見ろ、雲が切れるぞ」 小太郎さんが言い終わらないうちに、すすきの穂がいっせいに白く輝いた。 「なかなか良いものだろう」 小太郎さんの満足そうな声が響く。 「素敵ですね」 川面は月光を反射して光り、すすきは風に撫ぜられて、さらさらと音を立てて揺れていた。 「」 小太郎さんの両手が私の頬に添えられた。親指の腹が何度も何度も顔をなでる。 「こんな夜中に連れまわしてしまって、すまなかったな」 「そんな」 「俺はお尋ね者だからな」 白昼堂々、お前の家に行くことが憚られるのだ。そう、申し訳なさそうに小太郎さんは言った。 謝ることなんてないのに。小太郎さんはテロリストで、全国に指名手配されている身なのに、こうして会いに来てくれるじゃない。 「の幸せを願うのならば、もう縁を切ったほうがいいかと何度も思った」 「そんなこと言わないで!」 「安心しろ、どこにも行きはせん。なぜなら既に俺はなしには息をすることすらままならないのだからな」 大真面目な顔で、なんて殺し文句を言うんだろう。 「俺は太陽の下を大手を振って歩けるような身分ではないからな。お前を訪ねるのはいつも日の落ちた刻限で、だから俺は、一度でいいから日が射しているうちにに会いたいと思い続けていたんだ。今夜は満月だろう。太陽とまではいかずとも充分明るいだろうとふんで、それでお前をここまで連れてきたんだ。この明るさならば、心ゆくまでを眺めることが可能だしな」 さらり、小太郎さんの長い髪の毛が揺れた。 「しかし、思ったとおりだ」 小太郎さんは優しく笑って、指で唇に触れた。 「は、本当に綺麗だな」 小太郎さんは私よりずっと綺麗なくせに、この人は本当にひどいことを言う。 彼の白い肌や長い睫毛、枝毛のない髪なんかは女性以上に美しいと思う。でも小太郎さんは決して、気休めの嘘なんかつく人ではないことを知っているから、私はますます困ってしまう。 甘えてしまいたい。心地よい言葉に。頬に伝わる掌の熱に。 それとも、いっそのこと溺れてしまうことにしようか。体を包み込む月光と、まもなく触れ合う唇に。 小太郎さんの背中に手を回して、私は目を閉じた。 |