俺が唯一つ欲しかったもの、望んだ言葉





強がったふりのおとこのこ





今日は本当に良い天気で、これこそ絶好の昼寝日和だと思った。
快適な気温、綺麗に掃除された縁側、毛布のように柔らかく暖かい日差し。自分に寝てくれと言わんばかりの好条件がそろっている。
あとは愛用のアイマスクを装着するだけ。準備万端といった格好で、ごろりと横になり、一度大きく伸びをして、肺の奥深くまで息を吸い込む。溜めた空気をいっきに吐き出すと、一緒に体の中の毒素も出て行くような気がした。
何度も深呼吸を繰り返す。しかし、腹の底の凝りは一向に減ってくれない。ヘドロのようにドロドロとして、渦巻くそれは、血と共に体中を巡り、いつかは自分を内側から腐らせていくだろう。
くっだらねェ。口の中で毒づく。そんなことがあってたまるか。こいつは病気でもなんでもない。ただの俺の思い過ごしか、そうでなければ、朝食が胃にもたれているだけだ。それともなんだ、俺が今まで斬ってきた奴等の怨念だとでもいうのか。上等だ、呪い殺せるもんなら殺してみろや、死人のくせに。
気がつくと眉間に皺が寄っていた。親指でそこをマッサージするみたいにしてほぐしていく。目を瞑れば、果てしない暗闇が広がる。


最近、夜眠れないことが増えた。夢見が悪いせいだ。見る夢は、いつも決まっていた。
流れていく景色、振動する車内、そして床一面の赤。別に何も起こらない。
自分は怪我をしていなければ、刀すらもっていない。だが、死体が転がっているわけでもないのに、車内は血の臭いで充満している。
規則的な揺れと、酷い臭気に酔ってしまって、窓を開けようとするのだが、どの窓もきっちりと閉ざされていて、隙間すらできない。
堪らなくなって、吐きそうになった途端、いつも目が覚めるのだった。
当然、寝起きは最悪で嫌な汗をかいていたりする。ちっとも休んだ気になれず、昼寝をすれば夜また寝つきが悪くなってしまい、例の夢を見るという悪循環をずっと繰り返していた。


しかし、今日は、今日こそは。こんな気持ちのいい日に昼寝をしなかったら、罰が当たりそうだ。
俺は組んだ腕を後頭部に持っていき、ゴロリと横になって寝た。寝ようとした。だが、その願望は簡単に打ち崩される。
縁側に直に寝転がっているので、床からの振動がよく聞こえる。みしりみしりと響く音は、誰かの足音だろう。どうやら、こちらに近づいてくるらしい。
誰だろう、とだんだん眠気で回らなくなってくる頭で考える。近藤さんや土方のものではないな。あの人たちの足音は、もっと喧しいから。比べて今聞こえてくる足音の主は、ずいぶん静かだ。軽やかと言っていいだろう。なんにせよ、これくらいの音ならば、うるさく思う間もなく眠れそうだ。
そんなことを考えているあいだにも、足音はどんどん近づいて来て、ついに俺の横でピタリと止まった。


「沖田隊長、市中見廻りの時間です」
声をかけてきたのは、一番隊隊長補佐、だった。
「わりーな、俺ァ昼寝の時間でさァ。見廻りなら俺の代わりに、そのへんの土方でも捕まえて行ってくりゃいーだろィ」
「副長に探してこいと言われました。早く起きてください」
アイマスクをずり下げると、にこりともしないと目が合った。
は大体いつも、無表情で、好き嫌いも特に主張せず、黙々と仕事をこなすタイプの人間だった。何を考えてるかわからない、とを敬遠する隊士が少なからず、いたりもする。かくいう俺も、のような性格はあまり得意ではない。よくいえば真面目、悪くいえばお堅い。
「土方さんには『気持ち良くて眠くて動けないんで、今日の仕事は休みます』って伝えといて下せェ」
「では副長には、隊長が仮病で仕事をサボろうとしています、と伝えておきます」
俺は、あーあと溜め息をつく。冗談は通じないし、いくらからかっても山崎のように動揺したりしない。つっまんねーなァと呟く。


真選組における一番隊とは、斬り込み隊のことだ。その役目の性質上、肝が太く、血気盛んな者が多い。
そんな隊士に混じって、なぜ、柄に手をかけるより、頭で考えてしまうような、しかも女が一番隊隊長補佐なんかに抜擢されたのか、理由を土方に聞いてみたことがあった。
「あいつァ頭の回転が早いからな」
を隊長補佐に任命した本人が言う。
「何も考えずに敵陣に突っ込んでいくような隊にこそ、あーいういつでも冷静でいるタイプの人間が必要なんだよ。勢いも重要だが、先走って被害を広げられても困るからな。まァ、ブレーキみてーなもんだ」
そんな臆病なヤツなんかいるかと、そのときは反発したが、確かにが一番隊に配属されてから、怪我人はいっきに減った。
俺のすぐ後ろで抜刀しながらも、は殺気立った立集団の中にただ一人、瞳の中の理性の火を消すことはなかった。


気に喰わなかった。無性に腹立たしかった。
スカした顔しやがって。俺は一度は外したアイマスクを再び付け、また縁側に横になった。
「隊長」
が咎め立てるような声をあげる。誰が起きてなどやるものか。見廻りでもなんでも行ってくればいいだろう。
「いつまでそうしてるつもりですか」
うっせーなァ。俺ァ眠いんだよ。
「昼寝のことではありません」
じゃァ、なんだってんだ。
「伊東の一件以来、隊長は塞ぎ込むことが増えましたね」
いい加減不愉快になり、アイマスクをむしりとって体を起こした。立っているを見上げる形で睨みつける。
「何が言いてェ」
「仕事に支障が出るようでは困ると申し上げているのです」
あくまでは淡々と続ける。俺に睨みつけられているというのに、この女は微動だにしない。
「お前に何がわかる」
なんぞにわかってたまるか。わかって欲しくもないのに、同じ思いを味わえばいいと矛盾した考えが頭をよぎる。


「彼らを斬ったことを後悔していますか」
後悔なんかするものか。奴らは近藤さんの暗殺を企てた。それは許されないことであり、だから俺は奴らを斬った。
だが同時に、同じ隊服を着ている人間を斬るのは気分が悪かった。最近の寝不足もこれが原因だということはわかっていた。それでも、自分は間違ったことをしたなんぞ、微塵も思っていない。そして、ここ最近の不調に対しても、自分じゃ何ら打つ手は見当たらないのだった。少しずつ、薄紙を剥ぐように忘れていくのをひたすら待つしかないと諦めていた。
「俺ァ後悔なんかしねェ。今までも、これからだってな。どうだ、軽蔑しただろィ?」
俺は鼻で笑う。自分は今、さぞかし醜い顔をしているのだろう。俺は確かに人殺しだが、悔やんだりはしない。大事な人のために刀を振るって、手を汚しても自分が正義だと言い貫いてやる。それが死んでった奴らに対する、俺なりの供養というものだ。
「私が隊長を軽蔑することはありません」
ほォ、じゃァなんだってんだ。慰めてくれたりでもすんのか。
「慰めてもらいたいんですか?」
の言葉に、いっきに頭に血が上った。
「あんまりナメたこと言ってっと、斬るぞ」
ドスの効いた声で脅しても、当の本人はどこ吹く風だ。
「伊東一派と刀を交えることになったとき、私は正直嫌な気分になりました。何故なら彼らとは、かつては肩を並べて戦った仲間であり、同志だったからです」
突然のの告白に、俺は勢いを削がれた形になった。今更、コイツは何を言い出すんだ。
「斬れるか、と不安になりました。情に流されて、刀に迷いが出るかもしれないと思いました。でも隊長は」
は静かに、俺の目を見据える。その瞳は何の感情も映してはいない。ただ、唇だけが別の生き物のように動いている。
「隊長でも、全く悩まないなんてことはないのでしょう。それでもあの時、隊長の背中から、そんな素振りは全然窺えませんでした。敵が誰であろうと、先陣を切って戦って下さるから、だから私たちは安心して隊長に続いて刀を取ることができたのです」
いっぺんにそれだけのことを言って、はようやく一息ついた。しかし俺は、がこんなことを言うとは露ほども思っておらず、少なからず驚いていた。
「ですから隊長に戻っていただかないと、隊務に支障をきたすのです。早く見廻りの準備をしてください」
なんだ、結局。わざわざコイツが俺のところに来たのは慰めなんかではなく。
「隊長補佐殿は俺を励ましに来てくれたのかィ?」
思わず顔が笑ってしまう。下から上目遣いで見上げると、は初めて少し嫌そうに顔を歪めた。
「……どう解釈していただいても結構です」
とうとうこらえきれずに俺は吹き出した。コイツァとんだ意地っ張りだ。腹を抑え、顔を伏せた俺に不機嫌そうなの声が降ってくる。
「では、玄関でお待ちしています」
そうして、来た時と同じように、静かに去っていこうとする。
「わりーなァ、気ィつかわせちまってよ」
俺はの背中に声をかけた。は首だけでこちらを振り向くと、唇を緩やかな弧の形に曲げた。
「構いません。私の仕事はあなたの補佐ですから」
それだけ言うと、は踵を返し行ってしまった。仕方ねェなァ、と俺は小さな声で呟く。
そろそろ仕事に行くか。なんせ、アイツらは俺がいなけりゃ満足に見廻りもできねェみてェだからなァ。明るいうちにキリキリ働いて、今晩はぐっすり眠ることにしよう。
腰に愛刀を差し、大きく伸びをした。相変わらず今日はいい天気だ。
俺はアイマスクを懐にねじ込んで、心地良い縁側を後にした。