こんな世界じゃ嘘もつけない




私の目が映しているのは、見慣れた自室の壁だった。気がついたら覚醒していた、そんな感じの目覚めだった。まだ窓の外も暗いから、夜明けまでかなりの時間がありそうだ。
枕元の時計を確認すると、短針は数字の3を指している。なぜ、こんな妙な時間に目を覚ましてしまったのだそう。いや、何かに起こされたというより、自発的に起きてしまったようだ。いやに目が冴えてしまって、寝直そうにもなかなか寝付けない。
居心地の悪い思いをしながら寝返りを打つと、図らずも、桂さんと向き合うような形になってしまった。想像以上に近い距離に、私は思わず息を潜めた。幸い、規則正しく寝息を立てている桂さんが起き出しそうな気配はなく、私は口元を覆っていた両手をゆっくりと下ろした。


いつ何時、幕吏が現れるかわからん、武士は寝ている時でさえ気を緩めてはいかんのだ、といつだったか桂さんは言っていた。それでは、この人はいつ休めるのだろう、と心配したものだが、今はしっかりと寝ていてくれているようだった。


それにしても、なんて長い睫だろう、と私は思った。暗がりの中を、相手が熟睡してるのをいいことに、私は不躾なほど、桂さんの整った顔立ちを眺めた。暗闇の中、浮かぶ肌もまるで白磁のようで、長い髪も濡れているかのように艶やかだ。男の人のくせに、こんなに綺麗だなんて、ずるいよなぁ、と私はその頬に触れたい衝動を必死になって抑えた。
息を殺して、至近距離で見つめていても、桂さんは一向に起きそうにない。そりゃそうよね、いつも気を張りつめているんだから、私の家でくらい、ゆっくりと休んで欲しい。


桂さんはこの国の夜明けを目指しているのだという。夜明けとは、具体的になんであるか、どういった手段でそれを成し遂げるのか、私にはちっともわからない。けれど、桂さんが良いというのなら、それはきっと住みやすくて、桂さんもこんなふうに追われなくて済む世界なのだろう。
本当に、そうであればどんなにいいだろう。会えない時間はいくらでも我慢できるけれど、桂さんの安否がわからないのは一番辛い。
「桂さん」
厚い胸板に額を寄せて、俯いて小声で囁く。これは、私のわがままだ。今まで以上を望んだら、きっと罰が当たる。桂さんの静かな寝息は乱れない。
「小太郎さん」
さらに小さく、声を抑える。ともすれば、溢れそうになってしまう。決壊寸前だ。あなたと共に、平穏に暮らす、そんな世がいつか来ればいい。それは、そんなに大それた望みだろうか。
「私は、幸せです」
小さな囁きは、夜の闇を少しだけ震わせて、布団に吸いこまれていった。
大丈夫、私はきっと大丈夫だ。そう自分に言い聞かす。この広い江戸で、桂さんに出会えたことが、既に奇跡なのだから。
「小太郎さんを好きになって、それだけで幸せです」
多くを望みはしない。あなたが居てくれるだけで、それだけでいいのだから。
そう思い続けていれば、今、流れている涙もいつかきっと枯れるだろう。世界が変わるだろう。
世が明けるまで眠ることが出来ないなら、私はあなたのために、祈っているから。